境川 (富山県・新潟県)
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歴史
『令義解』の公式令に「北陸道神済。謂。越中與越後界河也。」とあり、この神済が境川の古名と見られている。古代、北陸道ではこの河川を境にして、朝廷の集使がより遠北へと向かう際には、駅馬に乗ることが認められており、北陸道の中国と遠国とを分かつ重要な地点であった。境川という名前は、古来越中国と越後国の境界とされたことに由来する。
建武2年(1335年)に、名越時兼が境川を出て、向川を越えて親不知に出撃したことが記されており(太平記理尽鈔)、続く永正15年(1518年)の「頤神軒存奭算用状」には「二百文 さかい川のせき」とある。
戦国時代には、越後側から長尾能景(長尾景虎の祖父)、長尾為景(長尾景虎の父)、長尾景虎(上杉謙信)の親子三代にわたり境川で、さらに川を越えて越中で戦闘を行うなど[1](長尾景虎の境川進出は北越軍談に天正15年(1587年)・同18年(1590年)とある)、中世・近世を通じて、越中国東端の重要な防衛拠点とされた。戦国時代に境関が置かれ、続く江戸時代には、この川を挟むようにして、加賀藩側と糸魚川藩側に関所(境関所・市振関所)が設けられた。
文化作品
主な支流
- 大平川(富山県下新川郡朝日町)
- 上路川(新潟県糸魚川市)
河川施設一覧
橋梁
河口より記載
- 境川橋梁 - あいの風とやま鉄道線
- 境橋 - 国道8号(新潟県道・富山県道115号上路市振停車場線との重複区間)
- 境川橋 - 北陸自動車道
- 境川橋梁 - 北陸新幹線
- 上路橋 - 新潟県道・富山県道115号上路市振停車場線
周辺施設
- 境一里塚(朝日町境字東地1873-1、富山県史跡)
参考文献
- 富山県河川調書 建設課
- 『国史体系 11 令義解』 吉川弘文社、1976年
- 『角川日本地名大辞典 16 富山県』 角川書店、1979年、371ページ。

