大塚健一郎
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| 基本情報 | ||||
| 愛称 | けん坊 | |||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1977年10月14日(48歳) | |||
| 出身地 | 大分県杵築市 | |||
| 身長 | 171cm | |||
| 体重 | 74kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 登録番号 | 013519 | |||
| 所属 | 日本競輪選手会大分支部 | |||
| ホーム | 別府競輪場 | |||
| 期別 | 82期 | |||
| 脚質 | 追込 | |||
| アマチュア経歴 | ||||
| 1993 - 1995 | 大分県立日出暘谷高等学校 | |||
| 登録地 | ||||
| 1999 - 2026 | 大分 | |||
| 業績 | ||||
| S級S班 | 2011 | |||
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選手情報 KEIRIN.JP | ||||
| ■最終更新日:2026年4月26日 ■テンプレートを表示 | ||||
大塚 健一郎(おおつか けんいちろう、1977年10月14日 - )は、日本の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第82期生。現役時代は日本競輪選手会大分支部所属、ホームバンクは別府競輪場。師匠は山田文俊(31期)。
大分県立日出暘谷高等学校在学中から自転車競技を行い、卒業後は競輪学校に第82期生として入学。同期には荒井崇博、兵藤一也らがいる。在校成績4位で卒業すると1999年4月11日に別府競輪場でデビューし、同日初勝利を挙げる。
以降は同県の先輩である小野俊之と共に大分の強豪としての名を上げていき、年に一度ほどGI・GIIの決勝に出走するほどの実力を発揮し続けた。
2002年に、GII共同通信社杯競輪の決勝進出し7着だった。
大塚自身のGⅠレース初の決勝進出は2004年の寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントで結果は4着だった。
2010年には全日本選抜競輪(宇都宮競輪場)の決勝5着とオールスター競輪(いわき平競輪場)の決勝7着により、同年12月5日時点における賞金獲得額ランキング上位となったことから、同年12月27日より適用される2011年のS級S班選手に選出された[2]。
2011年、SSシリーズ風光る(松戸競輪場)の決勝は3着だった。寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(弥彦競輪場)は落車再乗し、8着だった。
2013年、第55回朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)の決勝は3着だった。
2014年の第64回高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)決勝2着が過去最高の成績となった。
2015年のオールスター競輪(松戸競輪場)の決勝は6着だった。
2019年2月に別府での史上初GI開催となった全日本選抜競輪は地元から唯一人参加。二次予選7着で敗退するも最終日に1着をとり、勝利者インタビューでは感極まりながら「ここからまた、マーク道を進んでいきたい」と語った[3]。
2022年上半期からS級2班に降格だが、当年の下半期にS級1班に昇格。翌年下半期に再びS級2班に降格したが、2024年に再びS級1班に復帰。
2026年4月、S級1班格付けであったが引退を決意。前年2025年11月7日の奈良FI2日目第6レースで落車して以降欠場を続けており、復帰に向けて練習を続けてきた中で「自転車に乗るのが怖くなった」こと、同月に大塚より1歳上の小野(但しデビューは大塚より3年先輩)が引退したことも引き金となった[4]。
2026年4月24日、選手登録消除。通算戦績は、1675戦414勝、優勝65回。