大塚義樹

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1966-04-06) 1966年4月6日(60歳)
身長
体重
180 cm
90 kg
大塚 義樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県相模原市
生年月日 (1966-04-06) 1966年4月6日(60歳)
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト3位
初出場 1986年10月8日
最終出場 1996年6月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大塚 義樹(おおつか よしき、1966年4月6日[1] - )は、神奈川県相模原市出身の元プロ野球選手捕手)。

向上高では同期の高橋智とバッテリーを組み、同期の鶴見信彦、高橋とクリーンアップで4番を務めた。3年夏の県大会では準決勝で関東六浦高蒲谷和茂から本塁打放つなどで勝利、決勝へ進出したがエース・志村亮が先発した桐蔭学園高に延長14回の末に敗れた。

1984年プロ野球ドラフト会議南海ホークスから3位指名を受け入団[1]

プロ2年目の1986年に一軍初出場を果たす。

1990年マイナーリーグA級のサリナス・スパーズ英語版に野球留学した。ホークスでは香川伸行吉田博之などがいたため7年間で25試合しか出場できず、1991年オフに新浦壽夫との交換トレードで地元の横浜大洋ホエールズへ移籍した。

横浜では1994年シーズン終盤の9月29日阪神戦の9回裏に石井琢朗の代打で登場すると古溝克之から同点となる本塁打を放つと延長13回の末チームのサヨナラ勝ちに繋がった[2]、続く10月1日中日ドラゴンズ戦でも8回表に石井の代打で山本昌から3点本塁打で2打席連続本塁打を記録している[3]

1995年に34試合に出場し、秋元宏作谷繁元信との正捕手争いに加わった。

1996年は背番号を4に改めたが、4試合に出場しただけに終わり、同年限りで現役を退いた。左投手に強いバッティングが売りだった。

1997年から2010年まで北海道日本ハムファイターズブルペン捕手を務めていた。

その後は2015年の時点でトライアローに勤務している[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 南海
ダイエー
410100210030000000040.200.200.300.500
1989 1220000000000000000.000.000.000.000
1990 174542515303277002010071.357.372.6431.015
1991 3220000000000000010.000.000.000.000
1992 大洋
横浜
1330000000000000010.000.000.000.000
1994 4442200285000000000.500.5002.0002.500
1995 343936473021690000201103.194.256.444.701
1996 4440000000000000010.000.000.000.000
通算:8年 68109103112670754210020301244.252.280.524.805
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績


捕手
試合企図数許盗塁盗塁刺阻止率
19863330.000
19891330.000
1990121192.182
19911000-
19921110.000
19957440.000
通算 2522202.100

記録

背番号

  • 30 (1985年 - 1988年)
  • 57 (1989年 - 1990年)
  • 35 (1991年)
  • 53 (1992年 - 1995年)
  • 4 (1996年)
  • 99 (1997年 - 2010年)

出演

CM

  • 花王『バブ』(2001年4月 - ?)

脚注

関連項目

外部リンク

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