大宝神社
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| 大宝神社 | |
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| 所在地 | 滋賀県栗東市綣7丁目5-5 |
| 位置 | 北緯35度2分26秒 東経135度58分50秒 / 北緯35.04056度 東経135.98056度座標: 北緯35度2分26秒 東経135度58分50秒 / 北緯35.04056度 東経135.98056度 |
| 主祭神 | 素戔嗚尊 |
| 社格等 | 式内社、旧郷社 |
| 創建 | 大宝元年(701年) |
| 別名 | 大宝天王宮 |
| 例祭 | 5月4日 |
| 地図 | |
大宝神社(だいほうじんじゃ)は、滋賀県栗東市にある神社。式内社で旧社格は郷社。旧中山道沿いにある神社で、方除・厄除・健康・宝くじにご利益があるとされる[1][2]。
- 主祭神 - 素盞鳴尊
歴史
当社は、大宝元年(701年)に疫病が流行した時に、小平井村信濃堂(シナンド、現・栗東市小平井)に降臨した素盞鳴尊とその妻の稲田姫命を霊仙寺村(現・栗東市霊仙寺)を経て、綣村(現・栗東市綣)の当地にあった追来神社の境内に4月8日鎮座したのがその始まりであるという。これにより疫病は鎮まったと伝えられる[3]。
同年5月1日に社名は大宝天王宮とされ、正一位とされたという。鎮座の意は、「神社啓蒙」「和漢三才図絵」「牛頭天王暦編」等の書物に見ることができるという[3]。大宝2年(702年)3月12日には今宮応天大神宮の神号が下されている[3]。
永享5年(1433年)6月18日に室町幕府将軍足利義教によって311石が寄進されている[3]。
鈎の陣で将軍足利義尚が六角高頼を攻撃した際、その陣所に当社の遥拝所を建立させたという[3]。
天文14年(1545年)に六角定頼によって社殿の修復が行われている[3]。
元亀2年(1571年)に織田信長によって社領が没収されたが、天正年間(1573年 - 1591年)に復興している[3]。
元禄6年(1693年)以降は別当の神応院によって運営されるようになった[3]。
正徳3年(1713年)には境内社34社のほか神宮寺の時宗・仏眼寺もあり、三重塔、大日堂、護摩堂、薬師堂、神楽堂、鐘桜堂、経堂等が建ち並んでいたようである[3]。
しかし、慶応4年(1868年)3月には神仏分離によって仏眼寺と分離し、神応院も廃寺となり、4月には社名を大宝神社と改めている[3]。
1876年(明治9年)に村社に列せられ、1881年(明治14年)に郷社に昇格している[4]。
当社の名称が「大宝」となっているため、宝くじに当たるというご利益があるとされている。このため、宝くじ祈願のために当社を訪れる人も居る[1]。
境内
文化財
祭事
所在地
- 滋賀県栗東市綣7丁目5-5