大津市立大石小学校
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国公私立の別
公立学校
設置者
大津市
学区
大石曽束町 ・大石小田原町 ・大石龍門町 ・大石淀町 ・大石中町 ・大石富川町 ・大石東町 ・大石龍門一丁目 ・大石龍門二丁目 ・大石龍門三丁目 ・大石龍門四丁目 ・大石龍門五丁目 ・大石龍門六丁目 ・大石淀一丁目 ・大石淀二丁目 ・大石淀三丁目 ・大石中一丁目 ・大石中二丁目 ・大石中三丁目 ・大石中四丁目 ・大石中五丁目 ・大石中六丁目 ・大石中七丁目 ・大石東一丁目 ・大石東二丁目 ・大石東三丁目 ・大石東四丁目 ・大石東五丁目 ・大石東六丁目 ・大石東七丁目 ・大石曽束一丁目 ・大石曽束二丁目 ・大石曽束三丁目 ・大石曽束四丁目 ・大石曽束五丁目 ・大石小田原一丁目 ・大石小田原二丁目 ・大石富川一丁目 ・大石富川二丁目 ・大石富川三丁目 ・大石富川四丁目[1]
| 大津市立大石小学校 Oishi elementary school | |
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北緯34度54分39秒 東経135度54分54秒 / 北緯34.91097度 東経135.91504度座標: 北緯34度54分39秒 東経135度54分54秒 / 北緯34.91097度 東経135.91504度 | |
| 過去の名称 |
八張口学校 忌伊勢学校 大石小学校(初代) 大石尋常小学校 大石中尋常高等小学校 大石国民学校 大石村大石小学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
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| 学区 | 大石曽束町 ・大石小田原町 ・大石龍門町 ・大石淀町 ・大石中町 ・大石富川町 ・大石東町 ・大石龍門一丁目 ・大石龍門二丁目 ・大石龍門三丁目 ・大石龍門四丁目 ・大石龍門五丁目 ・大石龍門六丁目 ・大石淀一丁目 ・大石淀二丁目 ・大石淀三丁目 ・大石中一丁目 ・大石中二丁目 ・大石中三丁目 ・大石中四丁目 ・大石中五丁目 ・大石中六丁目 ・大石中七丁目 ・大石東一丁目 ・大石東二丁目 ・大石東三丁目 ・大石東四丁目 ・大石東五丁目 ・大石東六丁目 ・大石東七丁目 ・大石曽束一丁目 ・大石曽束二丁目 ・大石曽束三丁目 ・大石曽束四丁目 ・大石曽束五丁目 ・大石小田原一丁目 ・大石小田原二丁目 ・大石富川一丁目 ・大石富川二丁目 ・大石富川三丁目 ・大石富川四丁目[1] |
| 併合学校 |
富川小学校 → 富川尋常小学校 → 東分教場 → 東分校 鹿鳴学校 → 曽束尋常小学校 → 西分教場 → 西分校 大石学校( → 西分教場 → 西分校) |
| 設立年月日 | 1874年[注 1] |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | B125220100189 |
| 所在地 |
〒520-2264 滋賀県大津市大石東7丁目4-1 |
| 外部リンク | 大津市立大石小学校 |
沿革
- 1872年(明治5年):富川に富川小学校が創立する。
- 1873年(明治6年):曽束に鹿鳴学校が創立する。
- 1874年(明治7年):八張口学校が創立する。中・東・龍門・淀が同校の学区であった。
- 1876年(明治9年):小田原に大石学校が創立する。
- 1883年(明治16年):八張口学校の児童が激増したため、大石中に校舎を新築。忌伊勢学校に改称する。
- 1886年(明治19年):大石小学校(初代)が創立する。当時の学区は曽束・小田原・龍門・淀・大石中・東・富川・関津・太子の各村全域であった[注 2]。
- 1889年(明治22年):学区改正により、大石・曽束・富川の各小学校を尋常小学校(大石尋常小学校、曽束尋常小学校、富川尋常小学校)に改称する。
- 1899年(明治32年):校名を大石中尋常高等小学校に改称する。
- 1908年(明治41年):小学校令の改正に併せ、西分教場(小田原・曽束学区)と東分教場(富川学区)を設ける。
- 1916年(大正5年):本校の校舎改築を実施する。
- 1941年(昭和16年):大石国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年):大石村大石小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年):大石村が大津市に編入合併し、校名を大津市立大石小学校に改称する。
- 1954年(昭和29年):東分校(旧:東分教場)の校舎を新築する。
- 1957年(昭和32年):幼稚園を併設する。
- 1959年(昭和34年):体育館(初代)を新築する(後に解体したが、その時期は不明)。
- 1964年(昭和39年):西分校(旧:西分教場)と東分校(旧:東分教場)を本校に統合。
- 1967年(昭和42年):新校舎が竣工する。同年より学校給食を実施。
- 1968年(昭和43年):プール(初代)が竣工する(後に解体したが、その時期は不明)。
- 1976年(昭和51年):大津市によるスクールバスの運行を開始する。
- 1977年(昭和52年):体育館(二代目)が竣工する。
- 1980年(昭和55年):3階建ての校舎が竣工する。
- 1986年(昭和61年):校舎建築促進委員会を設置する。
- 1988年(昭和63年):幼稚園を分離する。同園は近隣に移転した。
- 1991年(平成3年):校舎第一期工事が完成する。
- 1997年(平成9年):プール(二代目)が竣工する。
- 2000年(平成12年):体育館(二代目)改築工事が着工する。起工式は同年5月に行われた。
- 2001年(平成13年):体育館(二代目)改築工事が竣工し、記念式典が行われる。
- 2002年(平成14年):新校舎の増築起工式を行う。
- 2003年(平成15年):新校舎の増築が竣工し、記念式典が行われる。
- 2004年(平成16年):教室を新校舎に移転する。
- 2005年(平成17年):運動場の改修工事が完成する。
- 2012年(平成24年):大津市より、小中一貫教育カリキュラム研究モデル校の指定を受ける(2014年度(平成26年度)まで継続)。
- 2022年(令和4年):第14回
魚庭 ()の大漁旗デザインコンクール低学年の部で同校の3年生(受賞当時)が優秀賞を受賞する[注 3][4]。 - 2023年(令和5年):木村毬乃(フェンシング女子サーブル日本代表[5])を迎えて特別授業を実施[6]。
(出典:[2])
基礎データ
通学区域
進学先中学校
交通アクセス
校区内の主な施設
当校付近は民家が多く、市役所支所・幼稚園・郵便局・駐在所・バスターミナル[注 5]もある。正門に沿って京都府道・滋賀県道783号線が通り、当校のすぐ北にあるT字路から東へ進むと瀬田川グリーンハイツ桜谷パークタウン[周辺 1]という住宅街に至る。当校の裏側には瀬田SPホールが1985年(昭和60年)3月に建設されたが[周辺 2]、現在は廃墟としてそのまま残っている。その南には大石グリーンハイツという住宅街があり、南側に公園(大石グリーンパーク)と小規模な工業地がある。南へ抜けると叶 匠寿庵の本社兼製造工場を経て大石小田原の集落に至る。富川は桜谷パークタウンの南東側にある地名であり、山間に集落が点在する。その南端は甲賀市信楽町宮尻に接している。近隣には滋賀県立ライフル場や富川磨崖仏がある。
当校付近は寺院も多く、瀬田川とそれに関連する川がいくつか流れる。川を渡る橋は数ヵ所架けられている。当校から南西に進むと大石緑地スポーツ村があり、そのまま南西へ抜けると大石曽束の集落に至る。同集落の近隣にはテニスコートを併設した公園やゴルフ場がある。
- 安養寺 - 通称は「立木観音」、俗称は「立木さん」。
- 長寿寺
- 浄土寺
- 佐久奈度神社 - 拝殿と御旅所の位置は異なる。
- 大石館跡
- 大石緑地スポーツ村[周辺 3][周辺 4] - テニスコート・多目的グラウンドなど。
- 大津市役所大石支所[周辺 5] - コミュニティセンターを併設[周辺 6]。
- 大津市立大石幼稚園[周辺 7] - かつて当校に併設していた幼稚園。
- 大津大石郵便局
- 大津警察署大石警察官駐在所
- 瀬田SPホール - 多目的ホール兼ケーブルテレビ局であった(閉鎖時期不明)[周辺 2]。
- 瀬田川グリーンハイツ桜谷パークタウン - 住宅街。略称は「桜谷パークタウン」。
- 大石グリーンハイツ - 住宅街。
- 国道422号(現道) - 大石東バイパス(瀬田川令和大橋方面)は東へやや離れた所を通る。
- 滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線
- 滋賀県道29号瀬田大石東線
- 京都府道・滋賀県道783号宇治田原大石東線
- 瀬田川
- 信楽川
- 宮前橋 - 信楽川に架かる橋の1つ。
- 極楽橋 - 信楽川に架かる橋の1つ。付近にスーパーフレンド大石店がある。
- 大石川
- 大石橋 - 大石川に架かる橋の1つ。
- 高橋 - 大石川に架かる橋の1つ。
- 古屋川
- 古屋橋 - 古屋川に架かる橋の1つ。
