大西勝也

From Wikipedia, the free encyclopedia

大西 勝也(おおにし かつや、1928年(昭和3年)9月10日 - 2017年(平成29年)12月21日)は日本裁判官[1]最高裁判所判事[2]位階正三位

大阪市出身。北野中学校 (旧制)第三高等学校 (旧制)を経て東京大学に進学。1951年(昭和26年)に同大法学部を卒業[3]。司法修習5期。1953年(昭和28年)、判事補任官。「アカデミックな雰囲気が魅力的」と裁判官になり[4]京都地裁をはじめ東京地裁大阪地裁東京高裁判事など現場を担当した後で最高裁事務総局の秘書課長・総務局長・人事局長・事務次長を歴任。最高裁判所人事局長在任時には、東京地裁判事補が破産管財人から背広を受け取った梓ゴルフ場事件が発覚し、当該判事補の弾劾裁判では国会裁判官弾劾裁判所に証人として出廷した[4]

1985年(昭和60年)、甲府地裁所長。その後、最高裁事務総長や東京高裁長官を経て1991年5月13日に最高裁判所判事に就任し[4]、1998年9月9日に退官した。2000年、勲一等瑞宝章受章[5]

2017年12月21日午前8時34分に誤嚥性肺炎のため東京都中野区施設で死去(89歳没[1]。死没日付をもって正三位に叙された[6]

主な担当審理

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI