安村和雄
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神奈川県立横浜第三中学校[2][3]、東京帝国大学法学部卒業[4]。1935年に司法官試補となり、東京地裁判事、宇都宮地・家裁所長、最高裁首席調査官を経て、1971年10月から東京地裁所長、1973年2月に最高裁事務総長、1974年12月に東京高裁長官に就任[4][5]。1975年10月に定年退官[6]。
1976年4月に法制審議会監獄法改正部会部会長を務め、代用監獄制度について1979年11月に運用を改善する事で存続するという結論を出した[7][8]。1979年3月に日本プロ野球選手会初代理事長に就任[9]。1980年10月に公安審査委員会委員長に就任。同年秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[10]。
脚注
- ↑ 『読売年鑑 昭和57年版 別冊』読売新聞社、1982年、228頁。
- ↑ 『牧陵會名簿 昭和13年12月1日現在』横濱第三中學校同窓會、7頁
- ↑ 同校の第1回卒業生であり、卒業式では卒業生総代を務めた。同期生には英文学者の岩田一男がいる。 『牧陵』第5号、神奈川県立横浜第三中学校学友会、1928年、11頁・14頁
- 1 2 “大阪高裁長官 吉田氏 最高裁事務総長 安村氏”. 朝日新聞. (1973年2月24日)
- ↑ “東京高裁長官に安村氏 最高裁事務総長は寺田氏”. 朝日新聞. (1974年12月17日)
- ↑ “東京高裁長官に青木義人氏”. 朝日新聞. (1975年10月7日)
- ↑ “監獄法の改正部会が初会合 部会長に安村氏”. 朝日新聞. (1976年4月29日)
- ↑ “代用監獄制は存続 人権、運用で配慮 設備・待遇改善も条件 法制審改正部会が結論”. 朝日新聞. (1979年11月17日)
- ↑ “初代理事長に安村氏が内定”. 朝日新聞. (1979年3月21日)
- ↑ 昭和55年 1980年11月13日付 官報 本紙 第16144号 4頁
- ↑ “安村和雄氏死去”. 朝日新聞. (1995年9月16日)
- ↑ 平成7年 1995年10月19日付 官報 本紙 第1754号 9頁
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