大通り (宇都宮市)
栃木県宇都宮市の通り
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歴史
江戸時代初頭の宇都宮城主・本多正純が[2]、奥州街道と日光街道の交点を城下町の北西へ移し、宇都宮二荒山神社と宇都宮城の間を貫く東西方向の街道として整備し直したのが大通りの起源である[3]。ただし当時の奥州街道は、遠見遮断のため曲師町(現・オリオン通り)の方へ曲げるなど、一直線の通りではなかった[4]。
現行の直線的な大通りを整備したのは栃木県令の三島通庸である[5]。三島は1884年(明治17年)に[6]県庁を栃木から宇都宮に移す際に、1週間の突貫工事で大通りを造らせ、道を拡幅した[5]。通りの両側に面する住家には、拡幅分だけ後退するように申し付け、不平・苦情を言った者を巡査に拘引留置させ、移転が間に合わないと言った者の家の軒先を大工や人夫に削り取らせるといったように強権的に工事を推し進めた[5]。同年国道指定を受け[1]、翌1885年(明治18年)に大通りの突き当りに宇都宮駅が開業し、大通りは宇都宮駅の駅前通りとなった[3]。
宇都宮市街は大正から昭和初期にかけて膨張し、大通り沿いは商業地として確立した[1]。1931年(昭和6年)、1.6 kmの区間が栃木県で初めて舗装された[1]。翌1932年(昭和7年)に都市計画道路の決定により幅員18 mとすることが決定したが、宇都宮空襲による市街地の大半の焼失を受け、1952年(昭和27年)に幅員30 mへ拡幅することが決定した[1]。
1950年(昭和25年)4月より戦災復興事業の一環で宇都宮駅から池上町までの区間の拡幅工事が実施され[7]、1958年(昭和33年)11月に完成した[1]。池上町以西は拡幅対象外で、将来において施工するとされていたが、1970年代の急激な都市化の進展により交通量が増大したため、1980年(昭和55年)度より栃木県の事業として拡幅工事が始まり、2001年(平成13年)度に完了した[1]。
道路概況

距離
- 全区間2.9km[1]
車線
- 上下6車線(片側3車線)
路線
- 国道119号(日光街道)(一部):池上町交差点から桜2丁目交差点(通称:桜通り十文字)まで
- 県道宇都宮那須烏山線(一部):池上町交差点から大通り1丁目交差点(通称:宮島町十文字)まで
- 県道宇都宮笠間線(一部):大通り1丁目交差点から宮の橋交差点まで
- 県道宇都宮停車場線:全線
主な接続路線と交差点(東から順に)
交差する川
路線バス
主な施設
- 宇都宮駅前ビル
- 栃木県民球団(栃木ゴールデンブレーブス)本社
- 宇都宮記念病院
- 宇都宮共和大学宇都宮シティキャンパス
- 明治安田生命宇都宮大通りビル
- 第一学院高等学校宇都宮キャンパス
- 宇都宮PEAKS
- 宇都宮二荒山神社
- 相生ビル/パルコ宇都宮店(閉鎖)
- うつのみや表参道スクエア
- シティタワー宇都宮
- MEGAドン・キホーテ ラパーク宇都宮店(斎藤会館)
- 宇都宮TDビルディング(東京電力)
- NMF宇都宮ビル(旧東京生命宇都宮ビル)
- 下野新聞ビル
- 宇都宮東武ホテルグランデ
- 宇都宮KSビル
- 飛鳥未来きずな高等学校宇都宮キャンパス
- 宇都宮地方裁判所・家庭裁判所
- 宇都宮地方法務総合庁舎
- 宇都宮地方検察庁
- 宇都宮地方法務局
- 東京出入国在留管理局宇都宮出張所
