天母教
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教義
天母地区の開発
教団の中心は、台北の三角埔に建設した天母神社であり(現・中山北路七段一九一巷)、その御神体は中国福建省湄州(湄洲妈祖祖庙)から譲り受けた媽祖像であった。
布教とともに、本拠地の三角埔(後に天母と呼ばれるようになる)で温泉の採掘や旅館、バスの経営を行い[1]、教会を中心とした高級住宅地の開発を計画するなど、開発事業と密着している宗教でもある。結婚紹介所や恵まれない子どもへの教育活動も行っていた[1]。
天母教は、終戦を迎えると教祖である中治稔郎が帰国し、事実上消滅することとなる[1]。資産はすべて国民党に接収され、高級官僚の住宅などに転用された。その後、住環境の良さから米軍関係者や大使館など、外国人がこの一帯に多く住み始めたことにより発展し、天母教が構想していた通り高級住宅街となっている[1]。
略歴
天母教の歴史は非常に短い。また、それは前述した通り、本拠地三角埔の開発と歩を一にしている。
- 1925年(大正14年)- 台北市永楽町二丁目五十二番地(現・迪化街一段附近)で教団創設
- 1926年(大正15年)- 台北市元園町二五三番地(現・成都路110)に移転し、教会、神殿、拝殿、付属集会所と教主住宅を建設。
- 1927年(昭和2年)- 台湾人と日本人の融合を求めて、台湾初の結婚紹介所「御柱會」設立[2]。
- 1930年(昭和5年)- 教主中治稔郎、布教と資金集めのため台湾全道行脚を開始する。
- 1931年(昭和6年)- 台北州士林街三角埔に湧出する温泉の権利を獲得。ここを本拠地とする事を定め、同地の開発を重田栄治との共同事業として進める。(開発の全用地は約9万坪)
- 1933年(昭和8年)- 引湯工事に着手。
- 1935年(昭和10年)- 引湯工事終了。付属公衆浴場、神苑、仮神殿を竣工し、移転。天母温泉として営業を始め、士林駅間のバスの運行も始める。
- 1945年(昭和20年)- 敗戦。教主の日本引揚げのため、教団消滅。ご神体の媽祖像は、天母東・西路の交差点近くにある廟「三玉宮」に保管されている[3]。