太刀川平治

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死没 (1966-02-15) 1966年2月15日(88歳没)
日本の旗 日本国
東京都新宿区信濃町
著名な実績 日本で最初の地熱発電に成功
たちかわ へいじ
太刀川 平治
生誕 (1877-04-07) 1877年4月7日
大日本帝国の旗 大日本帝国
新潟県古志郡長岡表五ノ町
死没 (1966-02-15) 1966年2月15日(88歳没)
日本の旗 日本国
東京都新宿区信濃町
著名な実績 日本で最初の地熱発電に成功
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太刀川 平治(たちかわ へいじ、1877年明治10年〉4月7日 - 1966年昭和41年〉2月15日)は、日本電気技術者。工学博士東京電燈研究所長・技師長・工務部長・常務取締役、東京電力顧問。電気学会名誉員。

新潟県古志郡長岡表五ノ町(現 長岡市表町4丁目)の薬種商・太刀川善蔵の四男として出生[1]

新潟県尋常中学校を経て、1899年明治32年)7月に第一高等学校を卒業、1902年(明治35年)7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された[2]

1902年(明治35年)7月に逓信省電気試験所技手として入所、1903年(明治36年)12月に一年志願兵として陸軍歩兵第1連隊に入隊、日露戦争応召1905年(明治38年)6月に陸軍歩兵少尉に任官[3]、戦後、逓信省を退官[4][5][6]

1906年(明治39年)2月にアメリカに私費で渡航、西部電気事業を視察、同年4月から1908年(明治41年)4月までアメリカ合衆国ニューヨーク州スケネクタディゼネラル・エレクトリック社の電機工場で研鑽を積んだ[2][5][6]

日本への帰途、アメリカおよびヨーロッパの電気事業を視察、1908年(明治41年)10月に帰国後、三菱合資会社神戸三菱造船所の電機工場に勤務[2][5][6]1910年(明治43年)に電機工場主任に就任[7]

1911年(明治44年)11月に猪苗代水力電気の設立にあたって電気課長に就任、1914年大正3年)の福島県猪苗代第一発電所から東京府田端変電所までの長距離特別高圧送電工事技師長として発電所鉄塔送電線などを設計[8][9][注 1]

1920年(大正9年)7月から1921年(大正10年)1月までアメリカおよびカナダ水力発電の調査に派遣された[6][11]

1921年(大正10年)9月に農商務省[注 2]工業品規格統一調査会委員に就任、東京帝国大学工学部電気工学科講師に就任、1923年(大正12年)4月に猪苗代水力電気が東京電燈に合併されると東京電燈理事・研究所長に就任[2][12]

海軍中将・山内万寿治男爵が大分県速見郡朝日村(現 別府市)の坊主地獄付近で行っていた地熱利用のための事業を1924年(大正13年)に引き継ぎ、1925年(大正14年)11月13日に日本で最初の地熱発電に成功[13][14][15][16][17][18][注 3]

1926年(大正15年)12月に東京電燈技師長に就任、1927年昭和2年)2月に工務部長に就任、12月に取締役工務部長に就任、1928年(昭和3年)1月に第15代電気学会会長に就任[2][19][注 4]

1930年(昭和5年)6月に東京電燈常務取締役に就任、1933年(昭和8年)11月に常務取締役を退任して平取締役となり、1936年(昭和11年)12月に東京電燈を退職、1938年(昭和13年)5月に電気庁参与に就任[2][注 5]

東京電燈取締役の時から東京湾電気取締役、関東水力電気取締役、大井川電力取締役、東信電気監査役、東光電気監査役などを兼任[20]1948年(昭和23年)5月に関東電気工事監査役に就任[2][注 6]東京電力顧問に就任[21]

1966年(昭和41年)2月15日午後1時25分に東京都新宿区信濃町東京電力病院老衰のため死去[22]88歳没

人物

  • 高井亮太郎[注 9]によると、太刀川平治は日本で最初に懸垂がいしを使用した送電線を建設運用して特別高圧送電技術の基盤を築き、後進の技術者の育成にも努め、寡黙勤勉で剛情な中にも温か味があり、部下たちから懐かれていたという[8]
  • 太刀川平治によると、「猪苗代のときがいちばんおもしろかった」という[2]

栄典・表彰

親族

著作物

著書

遺稿

  • 『落葉集 太刀川平治遺稿』堀貞治[編]、太刀川眞治(私家版)、1967年。

論文

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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