太卜令 From Wikipedia, the free encyclopedia 太卜令(たいぼくれい)は、古代の中国で占いをつかさどった官である。占う方法は、亀の甲を焼く亀卜と、筮竹を用いる卦など複数あった。天文と気象による占いは別で、太史令がつかさどった。 秦 秦の二世皇帝は、鹿を馬だと趙高と近臣に欺かれたとき、太卜に卦(筮竹の占い)で占わせた[1]。太卜は祭祀のときの斎戒が不十分だからだと答えた[1]。 前漢 奉常(のち太常)の下につき、次官に太卜丞がいた[2]。 『史記』によれば、前漢では、高祖劉邦が秦の太卜の官を引き継がせた[3]。世襲により技が衰えたたため、武帝が技量によって任命するように改め、人材が充実した[4]。武帝の時代の太卜には、様々に異なる方法をきわめた専門家がいて吉凶を議論した。 しかるに『漢書』「百官公卿表」は、武帝が太初元年(紀元前104年)に初めて太卜を置いたとする[2]。 後漢 後漢でも太常の下で、太卜令の秩石は600石であった[5]。後に廃止され、その職務は太史令に含められた[5]。 隋 隋では太常寺の下に太卜署があり、そこに長官の太卜令と次官の太卜丞が1人ずついた[6]。他の職員は、卜師20人、相師10人、男覡16人、女巫8人、太卜博士2人、太卜助教2人、相博士1人、相助教1人であった[6]。 唐 唐の太卜令も太卜署の長官である[7][8]。太卜署では亀、五兆、易、式の四種の占いをおこなった[7][8]。 『旧唐書』によれば太卜令の品階は従八品下で、正九品の太卜丞が1人、従九品下の卜正と卜博士が2人ずついた[7]。 『新唐書』によれば太卜令は従七品下。従八品下の太卜丞が2人、従九品下の卜正と卜博士が2人ずついた[8]。令・丞の品階と丞の人数が異なる。 脚注 [1]『史記』巻87、李斯列伝第27。ちくま学芸文庫『史記』6の149頁。 [2]『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』38頁。 [3]『史記』巻128、亀策列伝第68。ちくま学芸文庫『史記』8の196頁。巻127、日者列伝第67(ちくま学芸文庫8の182頁)も、漢のはじめから太卜の官があったと記す。ただし、これらの箇所は司馬遷が書いた列伝が失われた後に他の人が書いたものだという説がある。 [4]『史記』巻128、亀策列伝第68。ちくま学芸文庫『史記』8の196頁。 [5]『後漢書』合本『続漢書』、百官志2、太常。早稲田文庫『後漢書』志2の452頁。 [6]『隋書』巻28、志第23、百官下、隋、太常寺。 [7]『旧唐書』巻44、志第24、職官3、太常寺、太卜署。 [8]『新唐書』巻48、志第38、百官3、太常寺、太卜署。 参考文献 司馬遷『史記』 小竹文夫・小竹武夫訳『史記』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1995年。 班固著、『漢書』 小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。 司馬彪『続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる) 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。 魏徴他『隋書』。 劉昫他『旧唐書』。 劉昫『新唐書』。 外部リンク 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。 Related Articles