太田寛
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旧南安曇郡堀金村生まれ[2]。長野県松本深志高等学校卒業後、京都大学法学部に進学、勝田吉太郎ゼミに所属[3]。
1979年に大学卒業、長野県庁に入庁[3]。1985年から1987年まで通商産業省立地公害局立地指導課に出向、1990年から長野県ロサンゼルス駐在員として赴任[3]、1993年に帰国し、長野オリンピック冬季競技大会組織委員会 (NAOC) に出向[3]。2004年に田中康夫県知事の下で生活環境部長に抜擢[2]、2005年企画局長、2006年木曽地方事務所長、2009年参事兼建設政策局長、2012年商工労働部長、2014年総務局長を経て、2015年2月から副知事に就任し、環境保護、産業振興などさまざまな分野で県の施策立案に携わり[4]、松本空港ビル社長、県営住宅公社理事長、信州大学経営協議会委員などを歴任した。
2021年8月に辞職し、同年10月17日執行の安曇野市長選挙に立候補し、初当選[2][5]、同年10月23日に就任。2025年10月6日、無投票で再選した。無投票は安曇野市発足以来初めて[6][7][8][9][10]。市長在任中は市内の経済・産業振興や、ご当地ナンバーの「安曇野ナンバー」の導入、臼井吉見の小説『安曇野』の復刊等を実現し、地域高規格道路安曇野道路建設および長野自動車道安曇野北インターチェンジの新設事業の推進等に尽力した[11]。
しかし、市長2期目再選から2か月足らずの同年11月28日、自宅で朝起きてこなかったことから確認したところ意識がなく、同市内の病院に救急搬送されたが、同日8時59分に死亡が確認された。死因は急性心臓死とされた。69歳没。死去する2、3日前から風邪のような症状を訴えるも、前日まで公務を行っていたという[12][13]。死没日付で正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された[14]。
市長死去に伴い、中山栄樹副市長が太田の任期である12月31日まで職務を代理することとなり[15]、その後、中山は2026年1月11日に告示された市長選挙で立候補し、無投票で当選している[16]。