奈良友夫

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出身地 日本の旗 日本広島県
生年月日 (1917-06-20) 1917年6月20日
身長
体重
168 cm
60 kg
投球・打席 右投右打
奈良 友夫
基本情報
出身地 日本の旗 日本広島県
生年月日 (1917-06-20) 1917年6月20日
身長
体重
168 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1937年
初出場 1937年3月26日
最終出場 1939年5月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

奈良 友夫(なら ともお、1917年6月20日 - 没年不明)は広島県出身の元プロ野球選手内野手

広島商業鶴岡一人がエースとなった1933年春選抜大会に鶴岡のあとの5番レフトでベスト4入りに貢献。鶴岡が卒業した翌1934年夏選手権では、門前真佐人白石勝巳らのいた広陵中学に広島予選準決勝で敗れた。広陵を決勝で降した藤村富美男らのいた呉港中学校が全国制覇を果たした。翌1935年から遊撃手または二塁手となり、1936年は4番二塁手で山根実らと1936年春選抜大会に出場。松井栄造らの県岐阜商に敗れ初戦敗退に終わるが、奈良はこの試合で活躍し本塁打賞を獲得している[1]1937年大阪タイガースに入団。塚本博睦と同じ日の契約だった。第二の鶴岡といわれた攻守揃った大型内野手として、広島商業のOBである石本秀一監督からスパルタ指導を受け、同年春季リーグで規定打席に到達した。藤村富美男が投手として投げてるうちは二塁に入ったが、本堂保次のコンバートや新入団選手の加入で出場機会が減り、さらに練習中に鎖骨を折ったことで、1939年いっぱいで退団した。

広島に帰郷後、親戚の事業を手伝うため満州に渡り、その後1950年全広島第21回都市対抗野球大会に出場した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1937 大阪 45158139213552044240--2--16--120--.252.333.317.650
1937 12302816100750--0--2--03--.214.267.250.517
1938 10212016000630--0--1--00--.300.333.300.633
1938 22747013242102850--0--4--05--.343.378.400.778
1939 8161601000110--000--01--.063.063.063.125
通算:3年 97299273367283086380--2023--129--.264.323.315.638

背番号

  • 26 (1937年 - 1939年)

脚注

関連項目

参考文献

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