奥江英幸

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1950-08-11) 1950年8月11日(74歳)
身長
体重
179 cm
76 kg
奥江 英幸
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県岡山市
生年月日 (1950-08-11) 1950年8月11日(74歳)
身長
体重
179 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト2位
初出場 1973年7月27日
最終出場 1982年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

奥江 英幸(おくえ ひでゆき、1950年8月11日 - )は、岡山県岡山市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

岡山東商では、エース、四番打者として1968年全国高等学校野球選手権岡山大会決勝に進出するが、倉敷工に敗退。卒業後は日本石油に進む。河村健一郎とバッテリーを組み、1970年都市対抗で準々決勝に進むが、三菱重工神戸に敗れる[2]

1971年都市対抗でも準々決勝に進み、丸善石油門田純良愛媛相互銀行から補強)、久玉清人と投げ合うが惜敗した[2]

1971年11月にドラフト2位指名で大洋ホエールズへ入団[1]。岡山東商から大洋までの在籍先では、いずれも平松政次の後輩に当たる[3]

1974年は開幕から一軍に上がり、主に中継ぎとしてリーグ最多の51試合に登板、6勝を挙げた。プロ初勝利は5月12日、広島とのダブルヘッダー1戦目の救援登板で記録したが、その日の2戦目の先発登板でプロ初敗戦を喫し、1日に両方のプロ初を経験した[4]

1976年には先発に回り、11勝17敗を記録。規定投球回(20位、防御率4.09)に到達し、オールスターゲームにも初出場を果たす[1]。5月には20日の中日戦(ナゴヤ球場)、24日の巨人戦(川崎球場)と2試合連続で完封勝利を挙げた。24日の勝利は4日から続いていた巨人の連勝を14でストップさせる快挙だった。

1977年オフに、渡辺秀武と共に田中由郎との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍[1]

1978年は1勝と低迷する。

1979年には9勝をマーク。

1980年には自己最高の成績となる13勝8敗を記録した。

1982年を最後に引退した[1]。引退後はかつらメーカーに勤務するなどしたが、最近では古巣の横浜で野球教室などのイベントにしばしば登場している[5]

右スリークォーターから、ストレート、内角をよぎるキレのあるシュート、タイミングが合わせづらいカーブ、決め球はスライダー。一発を打たれるとカッとなるクセがある。インコースを強気に攻めるピッチングを身上としていた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1973 大洋 1000000--------51.0320001002218.003.00
1974 512000650--.545433100.28994616382146363.211.34
1975 412000533--.62536884.081134318470047454.821.48
1976 5230102211173--.393952220.12252687812121101111004.091.42
1977 398110694--.40039486.096144855501148474.921.67
1978 ロッテ 2013000190--.10037082.28653807480053414.451.50
1979 2716610941--.692602133.2138117429822075734.901.59
1980 28248001381--.619767170.117026102378540107985.191.60
1981 1916000251--.28639589.08764916251148424.251.53
1982 53000020--.0006812.1223110070016129.002.68
通算:10年 2831142542536213--.4614354980.099711549821605041135534964.561.53
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 45 (1972年 - 1977年)
  • 14 (1978年 - 1982年)

脚注

関連項目

外部リンク

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