竹内広明

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1953-10-22) 1953年10月22日(71歳)
身長
体重
174 cm
75 kg
竹内 宏彰(竹内 広明)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県多野郡新町
生年月日 (1953-10-22) 1953年10月22日(71歳)
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト1位
初出場 1972年6月6日
最終出場 1982年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

竹内 広明(たけうち ひろあき、1953年10月22日 - )は、群馬県多野郡新町[1]出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

深谷商業高校では、1年生から控え投手、一塁手として活躍。1969年夏の甲子園予選西関東大会では、決勝の川越工戦でリリーフに立つが2-3で惜敗、甲子園出場はならなかった。2年上のチームメートに荒船洋資捕手東映)がいる。1970年の秋季関東大会埼玉県予選では1回戦で岩槻高、準決勝で立教高を相手にノーヒットノーランを記録(立教高は7回コールド)。関東大会決勝に進出し、木更津中央高を完封し優勝を飾る。

3年生時の1971年には春夏の甲子園に連続で出場、いずれも深谷商にとって初出場であった。春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した日大三高渡部良克投手(日大)に完封負け[2]夏の選手権では1回戦で銚子商根本隆投手(後にチームメイト)と投げ合い、延長10回サヨナラ負けを喫する[3]

の1971年ドラフト1位で大洋ホエールズに入団。超高校級の本格派右腕と評価され、鳴り物入りでの入団だった。高卒ルーキーながら1年目の7月から先発に抜擢され、8月には中日戦で完封勝利を達成、2年目の1973年には9勝を挙げるなど期待されたが故障もあって1976年からは主に中継ぎとして起用される。1979年登録名を広明から宏彰に改名。1983年に引退。

1970年代の現役時代は「大洋のハイセイコー」とあだ名されていたことがあった[4]

現在は会社員。オーバースローからスライダー、シュート、カーブを武器とした。

ラグビー日本代表の小野澤宏時は娘婿にあたる。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1972 大洋 20921054----.55634077.183123137420139374.321.47
1973 3821620913----.409693166.0152117252696072663.581.35
1974 4113200571--.417578127.0138206517775183785.531.60
1975 2712100250--.28636981.09574924295053525.781.78
1976 40000000------235.040600200447.202.00
1977 10000000------41.010000000000.001.00
1978 150000100--1.0007417.11521003900642.121.44
1979 303000233--.40025660.259122501200035324.721.38
1980 220000110--.50012730.12711521110014123.601.38
1981 473000350--.37538089.29073363361037353.501.37
1982 333000001------23454.15862101231030284.671.45
通算:11年 27864113028385--.4243078709.27227832719293181823733484.411.48
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 36(1972年)
  • 16(1973年 - 1977年)
  • 11(1978年 - 1982年)
  • 44(1983年)

登録名

  • 竹内 広明(たけうち ひろあき、1972年 - 1978年)
  • 竹内 宏彰(たけうち ひろあき、1979年 - 1983年)

脚注

関連項目

外部リンク

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