奥石神社
滋賀県近江八幡市にある神社
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祭神
歴史
当社の創建について『奥石神社本紀』(至徳元年(1384年)9月奥付)では、第7代孝霊天皇5年に石辺大連が老蘇森に神壇を築いて大歳神御子を祀ったことに始まるとする[2][3]。また、第10代崇神天皇の時には吉備津彦が社殿を設けて[3][4]澳津比古命・澳津比売命を、第15代応神天皇の時に賀佐朝臣(吉備津彦後裔)が日本武尊・橘比売命を配祀としたとする[2]。
一説には繖山(きぬがさやま)を神体山とする原始信仰に始まる神社とされ、現社地は繖山山頂の磐座を遥拝する里宮とする説がある[2][5]。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「奥石神」に神戸として近江国から1戸が充てられている[2]。また『奥石神社本紀』では仁寿元年(851年)1月に正六位上の神階を賜ったとする[2]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、近江国蒲生郡に「奥石神社」と記載され、式内社に列している[2]。
天正9年(1581年)には本殿(重要文化財)が織田信長の命により柴田家久(柴田勝家の一族)により再建されている[6]。近世には「鎌大明神」・「鎌宮神社」などと称された[2][3]。
元禄11年(1698年)には境内の南に江戸幕府旗本の根来氏によって根来陣屋が建てられている[7]。
明治維新後、近代社格制度では1876年(明治9年)10月に村社に列した[2]。その後の1881年(明治14年)2月に郷社に昇格、1908年(明治41年)4月に神饌幣帛料供進社に指定されている[4]。
老蘇森
国指定史跡。当社周囲の社叢は「老蘇森(おいそのもり)」と称される鎮守の森となっている。現在の樹林は杉・檜・松等からなる。『奥石神社本紀』の伝承では、この地は地が裂けて水が湧いて人が住める土地では無かったが、石辺大連が木々の苗を植えて神々に祈願すると大森林となって石辺大連は百数十歳まで生きながらえたので、「老蘇」の森と称されるようになったという[3]。古くは平安時代の万寿元年(1024年)に大江公資による歌が見えるほか[3]、『梁塵秘抄』・『能因歌枕』・『和歌初学抄』にも近江国の歌枕として紹介されている。また中世東海道・近世中山道沿いに位置することから、『東関紀行』など鎌倉時代以降の紀行文にも散見される。このように古くからの由緒ある地で貴重であるとして、森の範囲は国の史跡に指定されている[8][9][10][11]。
境内
- 本殿(重要文化財) - 天正9年(1581年)再建。三間社流造で、前面に向拝一間を付し、屋根は檜皮葺である。蟇股の唐草文様透彫、手挟の彫刻、母屋腰廻りの格狭間など華麗な装飾が施されている。棟札によれば柴田家久による造営で、織田信長の安土城城下町形成の施策との関連が指摘され[12][13]、信長の命で建てさせたという[6]。
- 中門
- 拝殿
- 神楽殿
- 社務所
摂末社
- 諏訪社(近江八幡市指定有形文化財) - 祭神:建御名方富命、八坂刀売命。一間社流造、檜皮葺で本殿の西側に鎮座する。建物の詳細な年代は明らかでないが、17世紀前期の造営とされる[3]。安政7年(1860年)と1880年(明治13年)に修理が実施されているが、当初材を良好に残す建物とされる[14]。
- 吉住稲荷社
- 拝殿
- 神楽殿
- 旧中山道から望む社叢(老蘇森)
- 吉住稲荷社
文化財
祭事
- 例祭 - 4月吉日
- 諏訪宮例祭 - 8月第4日曜日
登場作品
所在地
- 滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615



