奥野信太郎
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- 出生から修学期
1899年、東京市麹町区紀尾井町生まれ[1]。父は陸軍少将・奥野幸吉。母・政子は子爵橋本綱常の娘[2]。したがって橋本左内は大伯父に当たる。
番町小学校(現・千代田区立番町小学校)卒業[1]。13歳の頃、浅草の叔母の家に預けられて芝居に熱中、永井荷風に心酔する。父の命で陸軍士官学校を受けたがわざと失敗、浅草オペラに耽溺する。続いて旧制第一高等学校も受験するが失敗し、荷風を慕って慶應義塾大学文学部予科に入るが、荷風は既に退職していた。与謝野晶子門下で作歌活動もした。慶應義塾大学文学部を卒業。
- 中国文学研究者として
卒業後は同学予科講師となり、次いで外務省北京在勤特別研究員として北京に留学した。戦時中は北京で北京輔仁大学教授を兼任した。
戦後、1948年に慶應義塾大学文学部教授となった。研究のかたわら数多くの軽妙な随筆を記した。テレビ出演も多く軽妙洒脱な話術で人気があった[3]。