増田渉
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1903年、島根県八束郡恵曇村(現:松江市鹿島町)で生まれた[1]。旧制松江高等学校(現:島根大学)を経て[2]、1926年、東京帝国大学文学部を卒業[1]。
1931年、上海で晩年の魯迅に会い師事[1]。魯迅の家に10ヶ月間通い、『史略』などの講義を直接受けた[1][3]。帰国後も魯迅との書簡の往復は続いた[1]。1935年、『支那小説史略』の日本語完訳版を出版[1]。佐藤春夫と『魯迅選集』を翻訳・刊行し、本格的に作品紹介を行った。
1949年、島根大学文理学部教授[1]。1953年、大阪市立大学教授[1]。1967年関西大学教授[1]。1974年、関西大学を定年退職[1]。1977年、盟友の竹内好の葬儀で弔辞を述べている最中に心臓発作を起こし[1]、数日後に後を追うように逝去した。多くの貴重書を集めた蔵書は、関西大学に収蔵され、「増田文庫」となった[1][4]。