孔覇

From Wikipedia, the free encyclopedia

孔覇 (こう は、生没年不詳)は、中国前漢後期の人物で、字は次孺。前漢の昭帝昌邑王劉賀宣帝元帝成帝[1]に仕えた。中国戦国時代の人物で、儒家始祖である孔子の十三世孫である。位は侍中まで上がった。

生涯

元帝以前

孔覇は『尚書』を学び、太傅である夏侯勝に仕えた。

前漢の昭帝、宣帝の時代、孔覇は書の五経博士となる[2]

前漢の宣帝の時代、孔覇は大中大夫皇太子司経となり、変わって太子詹事となった。その後、高密の相になった。

元帝時代

前漢の元帝の時代の永光元年(前43年)、儒教が前漢の国学となると、その宣揚のために孔覇は関内侯の爵位と褒成君の号を与え、給事中光禄大夫に任じ、長安に住んだ。

光禄勲であった蕭望之が自殺した為、元帝はそれを憐れみ、新たに孔覇を光禄勲に抜擢したと言う。後、御史大夫貢禹が死去し、薛広徳が罷免されると、元帝は孔覇を御史大夫(丞相とも)にしたがったが、孔覇はそれを固辞した。

元帝以後

その後の成帝の時代に、九卿を歴任したと言う[3]

孔覇の死後、東園から秘密の品と金銭が与えられ、さらに侯爵の地位を授与され、皇帝[4]自ら葬儀に参加したと言う。諡號はとされた。

その従子孔吉(孔鮒の五世孫)は哀帝の時代に殷紹嘉侯に封じられた。

人物

孔覇は謙虚で、権勢を嫌い、自身の関内侯の爵位が高すぎると思っていた。

一族

孔覇以前[5]

子世代

  • 孔福 褒成君の後嗣。
  • 孔捷 校尉
  • 孔喜 校尉。
  • 孔光 前漢の丞相。
  • 孔吉 従子(孔鮒の五世孫)で、殷紹嘉侯。

孫世代

  • 孔房 孔福の嫡子、褒成君。
  • 孔永(孔捷の子)
  • 孔放(孔光の子)
  • 孔何斉 孔吉の子で、殷紹嘉侯。

子孫

孔融孔昱は孔覇の七世孫と言われる[7]

参考資料

  • 漢書・匡張孔馬伝》

脚注

Related Articles

Wikiwand AI