孔叢子
古代中国の儒家の書物
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内容
特殊な構成をしており、三つの書物が合体したような構成をしている。
- 第1~10篇と第12~21篇 - 『孔叢子』の本体[6]。孔子とその子孫の孔伋(子思)・孔白(子上)・孔穿(子高)・孔斌(子順)・孔鮒(子魚)・孔騰(子襄)らの処世や政策を伝える。
- 第11篇 - 『小爾雅』篇[6]。
- 第22・23篇 - 『連叢子』上下篇。『孔叢子』の付録[6]。孔臧に帰される賦と書からなる[1]。主に前後漢代の孔氏一族の動向を伝える[6]。
『孔叢子』本体の思想としては、雑多な思想が扱われるが、主に先秦以来の「明徳慎罰」「尚賢」説や、漢代の経学を背景とした「三統改制」説が扱われる[7]。また、名家の公孫龍が登場する公孫龍篇や、墨子を非難する詰墨篇も注目に値する[1]。
成立・伝来・注釈書
作者や成立年代については古くから諸説ある。名目上は、秦末の陳勝の博士だった孔鮒が作者である[8]。しかしながら、清初の臧琳、清末の皮錫瑞、伊東倫厚は、『孔子家語』等の偽作者でもある魏の王粛の作とする[9]。一方で、南宋の朱熹は『朱子語類』125巻において後漢の作であるとする[8]。明の胡応麟は後漢の孔僖の子の孔季彦の輩が集成したものとし、清初の姚際恒は後述の北宋の宋咸の作とする[2]。現代ではそのほか、後漢末の荊州学において作られたとする説、秦代から後漢にかけて累層的に作られたとする説がある[10]。
目録学においては、『漢書』芸文志には『孔叢子』が載っていないものの[1]『小爾雅』一篇が載っている。『隋書』経籍志には『孔叢』七巻と『小爾雅』一巻が載っている[11]。
注釈書として、北宋の宋咸『孔叢子注』[12]、清の姜兆錫『孔叢子正義』[13]、江戸時代の冢田大峯『冢註孔叢子』[14]がある。