孔覇
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元帝以前
孔覇は、魯国昌平郷辺境の鄹邑(陬邑、すうゆう)が本貫で(孔子の出身地)、茂陵に住んでいた。[2]
前漢の宣帝の時代、孔覇は大中大夫、皇太子司経となり、変わって太子詹事となった。その後、高密の相になった。
元帝時代
前漢の元帝の時代の永光元年(前43年)、儒教が前漢の国学となると、その宣揚のために孔覇は関内侯の爵位と褒成君の号を与え、給事中・光禄大夫に任じ、長安に住んだ。その後、 元光禄勲であった蕭望之が自殺した為、元帝はそれを憐れみ、新たに孔覇を光禄勲に抜擢したと言う。後、御史大夫の貢禹が死去し、薛広徳が罷免されると、元帝は孔覇を御史大夫(丞相とも)にしたがったが、孔覇はそれを固辞した。
元帝以後
その後の成帝の時代に、九卿を歴任したと言う[4]。
孔覇の死後、東園から秘密の品と金銭が与えられ、さらに侯爵の地位を授与され、皇帝[5]自ら葬儀に参加したと言う。諡號は烈とされた。
人物
孔覇は謙虚で、権勢を嫌い、自身の関内侯の爵位が高すぎると思っていた。