宇文成都は身長一丈、腰囲十抱という巨躯に金の顔と長い髭、虎のような目と濃い眉を持つ。武器は重さ三百二十斤の鎦金鎲を用い、隋朝で二番目の豪傑とされ、上界の雷声普化天尊の生まれ変わりとされる。ある日、長安城の甘露寺で、秦始皇が鋳造した重さ五百四十八斤の鼎を軽々と持ち上げ、さらに数歩歩いて見せた。その声音は雷の如く響き、挙動に息の乱れもなかったことから、隋の文帝にその怪力を賞賛され、「無敵大将軍」に封じられた[2]。
宇文成都の原型は、史実上の宇文化及の長子・宇文承基(うぶん しょうき)であるとする見方がある。宇文化及が皇帝を自称すると、宇文承基は太子に立てられ、左参将に任命された。619年、竇建徳(とう けんとく)が宇文化及を大敗させると、宇文承基は宇文承趾(うぶん しょうし)、宇文化及とともに囚車に乗せられ襄国(じょうこく)に送られ、そこで斬首された[3]。