宇野重昭

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死没 2017年4月1日(2017-04-01)(86歳没)
出身校 東京大学
子供 宇野重規(政治学者)
宇野重昭
人物情報
生誕 (1930-10-28) 1930年10月28日
日本の旗 日本石川県金沢市
死没 2017年4月1日(2017-04-01)(86歳没)
出身校 東京大学
子供 宇野重規(政治学者)
学問
研究分野 政治学
研究機関 成蹊大学
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宇野 重昭(うの しげあき、1930年昭和5年)10月28日 - 2017年平成29年)4月1日[1])は、日本の政治学者。専攻は、政治学中国現代政治史北東アジア地域政策)。

研究活動

太平洋戦争

  • 大学院の博士課程から卒業後の数年間に渡り、東京大学の東洋政治外交史コースの責任者であった植田捷雄のもとで坂野正高衛藤瀋吉関寛治らとの研究会(放談会と称したが外国人が多数出席しての学問的交流会)にて、東洋政治外交史および太平洋戦争の実証研究を行った。その後、細谷千博、関寛治、緒方貞子斉藤孝らとも共同研究を進め、極東国際軍事裁判の分析が事実とずれているということから、事実を押さえ直し、太平洋戦争に至るプロセスの実証研究による再検討を行った。[2]太平洋戦争研究は、当時公開されたばかりの公文書、中国関係の未開拓資料やビラに至る細かい資料も発掘して資料考証し、解釈の問題点をたたきあう徹底した社会科学的アプローチがとられ、日本国際政治学会から1962 - 63年に『太平洋戦争への道』(朝日新聞社)として刊行、著名な歴史研究書として結実している。

中国共産党史・毛沢東研究

  • 1950年代半ばから60年代にかけて、宇野は中国共産党の資料の発掘も行っており、日本国際問題研究所とともに、10巻以上の膨大な中国共産党史の資料集の編集を行っている。同時に、公式の中国学者の中国共産党史は他にあり得たいかなる可能性を切り落として中国共産党の歴史として成立したのかといった、中国史全体の中において中国共産党史を位置づけるという独特の中国共産党史解釈を打ち出している。また、毛沢東については、当時の毛沢東の原形の資料がどういう国内環境、国際環境の中で作られていったのかを分析するという、新しい中国政治史学を追求した。中国共産党史研究や毛沢東研究は、自身の転換期における一番重要なケース・スタディだったとしている[3]。そして近代ヨーロッパと中国が対抗するには徹底的な文化革命武装闘争が必要だと主張して、それを成し遂げたとして毛沢東を評価している[4]

内発的発展論

  • 1960年代後半になると、鶴見和子らとともに、水俣病公害問題の実証研究に参加したことをきっかけに内発的発展論の研究を開始。従来までの文字化された資料をもとにした実証研究に対して、文字化される以前の事実、実体を徹底的に検討していった。その際に見出された方向性が、「伝統はそのままに存在するものではなく、あくまで解釈によって伝統として発掘され、確認され、意味づけられる。したがって、伝統そのものの基礎が人間の実際の生活や社会の中でどのように存在するのかを徹底的に確かめなければならない」というものであった。こうして、伝統が新しい外来的刺激でどう展開し、外来の比重がいかに重くなってくるかという過程を内発的発展論として研究し、従来の国際政治学の方向に加えて、社会学的な方向が加えられていった。
  • 内発的発展論は、本来、近代的な高度成長経済や国家中心の政治に対する異議申し立ての性格をもつ。「内発的発展論の担い手は、その目指す価値および規範を明確に指示する。近代化論が“価値中立性”を標榜するのに対して、内発的発展論は、価値明示的である」(鶴見和子「内発的発展論の系譜」)というような思い切った問題提起が行われるのも、このためである。[5]この内発的発展論は、その後、鶴見和子の友人で中国の社会学の基礎をつくった費孝通、江蘇省の小城鎮研究責任者の朱通華らとの10年に渡る日中双方での実証研究へと繋がり、宇野重昭・鶴見和子編 『内発的発展と外向的発展 現代中国における交錯』(東京大学出版会、1994年)として提起されている。

北東アジア学

  • 2000年に初代学長として4年制島根県立大学を建学、大学院博士課程開設に並行して北東アジア学という新しい学問分野を創成した。その際、内発的発展論で展開していた「ある種の普遍性のつながりがありながら、それぞれに違ったものとして発展しているものの相互関係が互いにぶつかりあうことによって、どういう新しい普遍的なものを生み出すのか」という相互触発論を基本的な考え方として持ち込んでいる。[6]
  • 平野健一郎は、北東アジア学創成シリーズの第一巻『北東アジア学への道』(2013年)について、これまでの科学主義が排除しようとしたり、合理的な方法によって解消すべきものとする「情念」を、地域研究の基本的な尺度として重視し、科学主義とバランスさせるかのように「情念」を強調し、理性と情念の相互関係を重視する知性とその必要性を明確に説いていると評した。さらに、北東アジアという地域をあえて明確に定義せず、最近のグローバル化によって地域はそこに住む人々の主体的な意識によって生まれ、変化するという動的な地域概念を打ち出している。そして、ある地域について、それぞれの理性と情念を特徴として取り上げ、どのように関連させるか、地域研究にとって重要なその操作を新しく定義される「知性」に行わせるという重層的なパラダイムを提起していると述べた。北東アジア学については、グローバリゼーション下の地域研究という意味においても、今後のあるべき認識モデルを示していると言えると評した[7]

受賞・栄典

家族・親族

著書

脚注

外部リンク

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