宮体詩
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特徴としては、女性の姿態や仕草、身につけている服飾品の描写を通して、男女の情愛を主題とする点にある。また型式面では、先代の沈約・謝朓らの「永明体」を継承し、詩の形式美・韻律美の追求に関して、より一層の整備が図られている[2]。
簡文帝はさらに、徐摛の子の徐陵に命じ、これら宮体詩に加え、漢代からの「艶詩」を収録した詞華集『玉台新詠』を編纂させている。徐・庾親子の詩文は「徐庾体」と称されて、当時の人士の間で大いに流行した[3]。宮体詩は南北朝後期に大いに流行し、南朝梁以後の南朝陳や北朝でも制作された。しかしその「綺羅脂粉」を重視する側面は、唐代以後、文学において儒教の復興が図られるようになると、しばしば文学の堕落として批判されるようになった。