小林寛 (サッカー選手)
日本のサッカー選手・監督
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略歴
現役時代は日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉)で、DF(左サイドバック[1])としてプレーした。日本代表候補にもなったが、同時期に「狂気の左サイドバック」と呼ばれた都並敏史が不動のポジションだった為、選出には至らなかった。
引退後は1990年から1998年まで北陸電力サッカー部(1996年からはアローズ北陸)の初代監督を務め、チーム創設3年で北信越リーグ昇格に導いた。1999年は同チームのアドバイザーに就任し、日本フットボールリーグ昇格を見届けて退団した。
2000年は川崎フロンターレの育成部に所属していたが、9月から監督に就任した。ナビスコ杯で準優勝をおさめたものの、チームのJ2降格を阻止することは出来ず、この年限りで辞任した。
2001年は水戸ホーリーホックの監督に就任したが、7月にはゼネラルマネージャーに転身、2002年から2007年まで水戸ホーリーホックの運営会社社長を務めた。
所属クラブ
個人成績
引退後経歴
- 1990年-1998年 北陸電力/アローズ北陸:監督
- 1999年 アローズ北陸:アドバイザー
- 2000年 川崎フロンターレ:育成部テクニカルディレクター
- 2000年 川崎フロンターレ:監督
- 2001年 水戸ホーリーホック:監督
- 2001年 水戸ホーリーホック:ゼネラルマネージャー
- 2002年-2007年 水戸ホーリーホック:社長
- 2008年-2012年 ジェフユナイテッド市原・千葉:ホームタウン事業統括本部長・取締役