小栗正光
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可児市立中部中学校卒業後の16歳からゴルフを始め、1972年にプロ入りする[1]。
1978年の中日クラウンズでは2日目にこの日ベストスコアとなる65をマークし、内田繁と並んで2位島田幸作から1打差の3位タイに着け、最終的には村上隆・小林富士夫・今井昌雪と並んでの9位タイ[2]に入った。
1979年の関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日に4アンダー68をマークし、上野忠美・松田司郎・入江勉・山本善隆・森本俊治・秋富由利夫・松本紀彦と並んでの5位タイグループでスタートした[3]。
1981年には阿蘇ナショナルパークオープンで草壁政治・松本紀彦と並んでの9位タイ[4]に入り、ペプシウィルソントーナメントでは2日目に66をマークして[5]尾崎直道・呂良煥(中華民国)・中村通・高橋勝成[6]、3日目には新井規矩雄・羽川豊[5]と並んで共に7位タイ[6] [5]に着けた。
1981年のゴルフダイジェストトーナメントでは初日に67をマークし、中嶋常幸・山口吉久に次ぐ3位でスタートした[7]。
1983年の中部オープンでは初日に当時高校生の川岸良兼と共に68の首位タイ[8]でスタートし、2日目に豊田明夫・石井裕士と並んでの2位タイ[9]、3日目には中村忠夫・川岸と並んでの3位タイ[10]に着けた。
1985年には岐阜県オープンで優勝[11]したほか、関西プロ6月決勝大会では開催された松永カントリークラブのコースレコード63を樹立し、1974年の中四国オープンで十亀賢二が記録した64を8年ぶりに塗り替えた[12]。