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小栗正光

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生誕 (1948-06-17) 1948年6月17日(77歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 82 kg (181 lb)
国籍 日本の旗 日本
小栗 正光
Masamitsu OGURI
基本情報
生誕 (1948-06-17) 1948年6月17日(77歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 82 kg (181 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県
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小栗 正光(おぐり まさみつ、1948年6月17日 - )は岐阜県出身のプロゴルファー。

可児市立中部中学校卒業後の16歳からゴルフを始め、1972年にプロ入りする[1]。

1978年の中日クラウンズでは2日目にこの日ベストスコアとなる65をマークし、内田繁と並んで2位島田幸作から1打差の3位タイに着け、最終的には村上隆・小林富士夫・今井昌雪と並んでの9位タイ[2]に入った。

1979年の関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日に4アンダー68をマークし、上野忠美・松田司郎・入江勉・山本善隆・森本俊治・秋富由利夫・松本紀彦と並んでの5位タイグループでスタートした[3]。

1981年には阿蘇ナショナルパークオープンで草壁政治・松本紀彦と並んでの9位タイ[4]に入り、ペプシウィルソントーナメントでは2日目に66をマークして[5]尾崎直道・呂良煥(中華民国)・中村通・高橋勝成[6]、3日目には新井規矩雄・羽川豊[5]と並んで共に7位タイ[6] [5]に着けた。

1981年のゴルフダイジェストトーナメントでは初日に67をマークし、中嶋常幸・山口吉久に次ぐ3位でスタートした[7]。

1983年の中部オープンでは初日に当時高校生の川岸良兼と共に68の首位タイ[8]でスタートし、2日目に豊田明夫・石井裕士と並んでの2位タイ[9]、3日目には中村忠夫・川岸と並んでの3位タイ[10]に着けた。

1985年には岐阜県オープンで優勝[11]したほか、関西プロ6月決勝大会では開催された松永カントリークラブのコースレコード63を樹立し、1974年の中四国オープンで十亀賢二が記録した64を8年ぶりに塗り替えた[12]。

1990年の中部オープンでは10位タイ[13]に入ったが、1991年の同大会[14]を最後にレギュラーツアーから引退。

主な優勝

脚注

外部リンク

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