森本俊治
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1974年の中部オープンでは初日に69をマークして首位[3]でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位[4]に入った。
1975年のKBCオーガスタでは初日を許勝三(中華民国)・川上実・西田升平・小林富士夫と並んでの11位タイでスタートし[5]、2日目には69をマークして草壁政治・前田新作と並んでの4位タイに浮上[6]。3日目は前田と共に73とスコアを伸ばせず、青木功・石井裕士と並んでの4位タイに留まった[7]。
1979年の関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日に4アンダー68をマークし、上野忠美・小栗正光・松田司郎・入江勉・山本善隆・秋富由利夫・松本紀彦と並ぶ5位タイグループでスタートする[8]。
1979年の日本プロでは初日を3アンダー69で常陸文男・山本善・鈴村照男・東章・中村通・石井裕士・鷹巣南雄・渡辺三男・杉原輝雄と並んでの10位タイでスタートした[9]。
1983年の関西プロでは3日目には林慎一・渡辺修と共に67をマークして内田繁・川上典一と並んでの9位タイ[10]に着け、最終日には渡辺と共に68をマークして前田新作と並んでの4位タイ[11]に入った。
1983年のゴルフダイジェストトーナメントでは初日を河野高明・鈴木弘一・青木功・金子柱憲・吉武恵治・鈴村照・金井清一と共に69の9位タイ[12] [13]でスタートし、2日目も69で尾崎健夫・中嶋常幸・上原宏一と並んでの6位タイ[14]、3日目も69で3日間首位の高橋五月に並んだが[15]、最終日には尾崎健・尾崎直道・上原・宮本康弘・中村・呂西鈞(中華民国)と並んでの8位タイ[16] [17]に入った。
大京オープンでは初日を69で井上幸一・秋富・中松幹雄・草壁政治・中山徹と並んでの5位タイ[18]でスタートし、2日目も69で横島由一の2位[19]に浮上したが、3日目には稲垣太成・井上と並んでの9位タイ[20]に後退し、最終日には森憲二と並んでの10位タイ[21]に入った。同年には関西プロ4位タイ、デサント大阪オープン2位タイなど、賞金ランク68位に入っている[22]。
1984年の兵庫県オープンでは初日を前田新作・甲斐俊光に次ぐと同時に吉野展弘・吉川一雄・井上智夫と並んでの3位タイ[23]でスタートし、デサント大阪オープンでは中村と並んでの2位タイ[24]に入った。
1990年の兵庫県オープンでは初日に69をマークして藤池昇・一岡義典と並んでの6位タイ[25]でスタートし、1991年の関西オープン[26]を最後にレギュラーツアーから引退。
2000年にシニア入り[22]すると、2001年には第1回ファンケルクラシックでは高橋勝成・佐野修一に次ぐと同時に曽根保夫・藤間達雄と並んでの5位タイ[27]に入った。
2002年にはキャッスルヒルオープンで鷹巣らと優勝を争い惜しくも[22]井上久雄・小林富士夫と並んでの5位タイ[28]、アデランスウェルネスオープンでは初日22位タイから追い上げシニア入り後最高となる[22]田中文雄と並んでの4位タイ[29]、日本シニアオープン7位[30]など8試合に出場してベスト10入り5回を記録[22]。
賞金ランキングは32位→25位→11位と年を追うごとに順位を上げて、念願の初シード入りを果たした[22]2003年のキャッスルヒルオープンでは初日に66をマークし、陳志明(中華民国)の2位[31]に入った。
2013年には関西プロゴールドシニアで優勝し[2]、日本プロゴールドシニアでは古市忠夫・陳清波(中華民国)と共にエージシュートを達成[32]。
2014年の関西プロゴールドシニアでは初日首位で大会連覇を狙うも最終日に76とスコアを崩し、トータルイーブンパーでホールアウト[33]。この日のベストスコアをマークした古市忠夫、安定したプレーで両日パープレーの渡辺修と共に10番ホールでのプレーオフとなったが、渡辺がバーディとし、古市と並んでの2位タイ[33]に終わった。