小笠原吉次
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| 時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
| 生誕 | 天文17年(1548年) |
| 死没 | 元和2年(1616年)9月25日 |
| 別名 | 三郎右衛門、宗忠 |
| 官位 | 伊予守、和泉守 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 松平家忠→松平忠吉→徳川秀忠 |
| 藩 | 尾張藩付家老、下総佐倉藩主、常陸笠間藩主 |
| 氏族 | 小笠原氏 |
| 父母 | 父:小笠原長隆、母:小笠原重広の娘 |
| 兄弟 | 吉次、小笠原家時 |
| 妻 | 加々爪政豊の娘 |
| 子 | 小笠原吉光、小笠原長光 |
小笠原 吉次(おがさわら よしつぐ、天文17年(1548年) - 元和2年8月15日(1616年9月25日)は、江戸時代初期の大名。尾張犬山領主、下総佐倉藩主、常陸笠間藩主。
松平家忠の家臣小笠原長隆の長男。母は小笠原重広の娘。正室は加々爪政豊の娘。子は吉光(忠重、長男)、長光(次男)。官途は伊予守、のちに和泉守。初名宗忠。