山下登
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兵庫工では同期の岡崎投手との二本柱で活躍。1951年夏の甲子園県予選1回戦では、岡崎との継投で相生高から、7回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成。翌1952年春季近畿大会県予選決勝に進むが、育英高に敗退した。
1953年に近鉄パールスに入団。翌1954年に頭角を現し12勝、8月には高橋ユニオンズを相手にノーヒットノーランを達成した。1955年にはチーム最多の55試合に登板し、これもチーム最多の17勝を記録している。その後も先発として起用されるが成績は振るわず、1960年に南海ホークスに移籍。1962年以降は登板機会がなく、1963年限りで引退した。
1969年にはコーチとして南海に復帰している。