山出保

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生年月日 (1931-11-27) 1931年11月27日
没年月日 (2025-07-14) 2025年7月14日(93歳没)
山出 保
やまで たもつ
生年月日 (1931-11-27) 1931年11月27日
出生地 日本の旗 日本 石川県石川郡崎浦村(現:金沢市
没年月日 (2025-07-14) 2025年7月14日(93歳没)
死没地 日本の旗 日本 石川県金沢市
金沢市立病院
出身校 金沢大学法文学部
前職 地方公務員
所属政党 無所属
称号 正四位
旭日重光章 (2011年)
レジオンドヌール勲章シュヴァリエ(2010年)
第29-33代 金沢市長
当選回数 5回
在任期間 1990年12月10日 - 2010年12月9日
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山出 保(やまで たもつ、1931年昭和6年〉11月27日[1] - 2025年令和7年〉7月14日)は、日本政治家石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章

在任中の政策

山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。

野々市町との合併構想

山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた[12][13]

金沢市と野々市町の合併に関する歴史では、かつて、金沢市に隣接していた石川郡押野村1956年1月1日に金沢市に編入合併して以来、金沢市の西南部地域では境界線が変更されただけである。また、野々市町に関しては、現在の町域が出来る前、郷村が村を二分して野々市町と松任町にそれぞれ編入合併した苦い経験を持っている。

合併特例法の運用期限が迫っていた2002年から金沢市と野々市町との合併論議が活発化した。単独市制指向を貫いていた当時の野々市町長安田彦三は金沢市との合併には消極的であり、2002年6月7日に金沢市の助役(当時)が野々市町との合併論議への参加を申し入れたが、単独市制指向を理由に会談を一度は拒否した[14]。その後、白山麓の石川郡に属する各町村にも会談を申し入れるが、これらの町村は7月に合併要請を行った松任市との合併も検討することになる。

同年、安田は9月4日に石川県知事谷本正憲に対し山出との会談を受け入れる表明を行った[15]。そして9月5日に、金沢市内のホテルで山出および安田との合併に関する会談が行われた。

会談では、山出が野々市町との合併で「互恵平等で力を合わせて行きたい」と政令指定都市移行を表明したのに対し、安田は「町を二分にすることはしたくない」として単独市制を主張。両者の会談は平行線のまま終了した[16]。翌9月6日には野々市町議会は単独市制を決議し、白山麓の町村は同年10月21日に会談が行われたものの、「鶴来町と一体にしたい」ことを主張して同年12月10日には松任市との合併要請を受け入れることになり[17]、金沢市周辺の自治体との合併構想は事実上収束することになった。

山出が進めてきた野々市町との合併構想に関しては、安田との会談が行われる前の2002年8月6日に森喜朗と会談を行った中で、森は「弱い町村長の気持ちが分かっていない」と野々市町を狙い撃ちしたことを批判し、性急な合併に苦言を呈していた[18]

著書

  • 金沢の気骨 文化でまちづくり(北國新聞社2013年
    • この著書では、市内のラブホテルを買い取り緑地に転用したというエピソードが記されている[19]
  • 金沢を歩く[20]岩波新書2014年
  • 金沢らしさとは何か まちの個性を磨くためのトークセッション(北國新聞社、2015年
  • まちづくり都市 金沢[21](岩波新書、2018年

脚注

関連項目

外部リンク

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