山本光将
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小学校4年生から熊本大津リトルで野球を始めた[2]。熊本工高では1年秋から4番を打って九州大会へ進むが初戦で海星高の松永浩典に6回コールドで完投負け。2年夏の県大会は決勝で延長11回の末に敗れた。3年夏の県大会では準決勝、決勝で本塁打を放ち甲子園出場、初戦敗退[2]。高校通算61本塁打を記録し、「九州のカブレラ」と呼ばれる。
2002年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。入団時の背番号61は、熊本工高時代の通算本塁打が61本であることと、熊本工から61人目のプロ野球選手であることから付けられた。
しかし、入団4年間で一度も一軍に出場がなく、2007年は支配下登録から外れ、育成選手としての登録となった(イースタン・リーグ チャレンジ・マッチに出場することが多かった)。
2007年も育成選手として契約、3班制を敷いた春季キャンプではB班に属したが、紅白戦では無安打に終わっている。同年、戦力外通告を受け退団。その後12球団合同トライアウトに参加。複数球団が興味を示しているとの報道もあったが、実際に戦力として獲得する球団は現れず現役を引退。
2009年4月に開校するジャイアンツアカデミーのフランチャイズスクール「ジャイアンツメソッド宮崎ベースボールスクール」(現:九州ベースボールアカデミー 宮崎校)のコーチに就任することとなった。その後、熊本校のコーチも務めた。
その後、巨人を離れ、学生野球資格回復研修を受けて、2015年3月4日に資格を回復させた[3]。
2020年6月27日には巨人とOBスカウトとしての契約も締結。熊本エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[4]。プロ球団と関わりを持つため、回復していた学生野球資格は喪失した。なお、OBスカウト契約が切れたためか、翌年の5月6日には資格が再回復している[3]。
その後、日本野球連盟に加盟している九州工科自動車専門学校硬式野球部のコーチに就任した[5][6]。
2023年12月7日、九州アジアリーグの火の国サラマンダーズに臨時打撃コーチとして入団が内定したことが発表された[7]。