山野井泰史

From Wikipedia, the free encyclopedia

山野井 泰史(やまのい やすし、1965年4月21日 - ) は、東京都出身のアルパインクライマー。身長165cm、体重58kg。妻は同じく登山家の山野井妙子(旧姓・長尾)。静岡県伊東市在住[1]。優れた登山家に送られるピオレドール生涯功労賞をアジア人として初めて受賞している。

父の実家がある足立区本木で生まれ、4歳年上の姉と両親と共に小金井市の公団住宅で暮らした[2]。5歳の夏に一家は引っ越し、以降泰史は千葉市で育つ。学校の成績は可もなく不可もなかったが、絵は得意で小学校の時にコンクールで入選。小学校高学年から中学校まで剣道を習い、市の大会で3位入賞もしている[3]。そして10歳頃、たまたまテレビで映画「モンブランへの挽歌」を観たことがきっかけで、登山に強い興味を持つ[4]。この頃からハイキングをしていた母方の叔父に連れられ山へ行くようになった。

中学時代から一人で岩登りも始めたが、道具を買うお金がなかったので工事用のヘルメットとロープを持っていった。中学3年の10月、千葉県南部の鋸山で初めての滑落を経験。やり方が分からずロープも使っていなかった為(泰史の父曰く)全身で30数ヶ所の打撲と裂傷を負い血だらけで帰宅した[5]

反抗期の無かった泰史だったが、山をやめろと言った父にこの時強く反発。山岳クラブ等に入りしっかりとした危機回避技術を学ぶことを条件についに継続の許可を得た。事故直後の冬に日本登攀クラブへ入会。千葉県立泉高校に進む[6]。高校就学時よりアルパイン・クライミングに傾倒。高校卒業後は進学も就職もせずアルバイトで貯めた資金で渡米。カリフォルニア州ヨセミテなどでフリークライミングに没頭する。3度目の渡米の際には後に日本を代表するフリークライマーとなる平山ユージと行動を共にし様々なルートに挑戦[7]。泰史は念願だったコズミックデブリを成功させたが、自分が苦闘してやっと登ったその壁を平山が軽々と完登したことにショックも受ける。その後はビッグウォール・クライミングや、8000メートル峰などの超高所登山に転身し[8][9]、妻・妙子とともに、毎年のように新ルートを開拓した[10]

フィッツ・ロイアルゼンチン)遠征の際に、スポンサーを求めていくつか企業を回ったものの、難易度は高いが、ヒマラヤに比べて知名度の低いパタゴニアの登山では理解を得られず、スポンサーも確保できなかったことから、それ以降は積極的にスポンサーを求めることはせず、遠征費用の大半を非正規労働で得た自費で賄っている[11]

2002年ギャチュン・カン北壁の登攀(とうはん)に成功したが、下山中、雪崩に巻き込まれ重度の凍傷に罹(かか)り、両手の薬指と小指、右足の全ての指ほか計10本を切断する重傷を負い[12][13]、4か月間入院した[14]。しかしクライミングへの熱意は冷めず、オールラウンドな挑戦を続けている[15]

これまで数多くの山に登ってきたが、登山時に酸素ボンベを使用したことは一度も無い[16][17]

2008年9月17日、自宅近くの奥多摩湖北側の倉戸山(1169m)登山道付近をジョギング中にに襲われ[18][19]、顔などに重傷を負い、ヘリコプターで青梅市内の病院へ搬送された。右腕20針、顔面70針を縫い、9月24日まで入院[20][21]。その後もペルーのプスカントゥルパ南東壁で新ルートを開拓したりヒマラヤの未踏峰を初登するなど精力的に活動を続け、2021年にピオレドール生涯功労賞をアジア人として初めて受賞した[22]

年表

受賞歴

著書

単著

  • 『垂直の記憶 : 岩と雪の7章』山と渓谷社、2004年。ISBN 4-635-14005-9 NCID BA66918114OCLC 65474102 [31]文庫に改版[32]
  • 『アルピニズムと死 : 僕が登り続けてこられた理由』YS001、山と渓谷社〈ヤマケイ新書〉、2014年。ISBN 9784635510073 NCID BB17287386OCLC 893835471 

雑誌に執筆した記事

  • ヴォイテク・クルティカ、山野井 泰史「対談 自由への挑戦 高所登山のバリエーションとサバイバル」『山と渓谷』1997年4月、160-165頁。 
  • 戸高 雅史、山野井 泰史「もっと山を感じたい。だからソロなんだ 戸高雅史+山野井泰史」『山と渓谷』第750号、1998年1月、186-189頁、OCLC 5178457108 
  • 山野井 妙子、山野井 泰史、加藤 保恵「気になるとなりの山ごはん 登山家の食卓」『岳人』第641号、2000年11月、140-147頁、OCLC 5175960966 
  • 山野井 泰史、山野井 妙子、江本 嘉伸「(8)登山家 山野井泰史・妙子」『山と渓谷』第794号、2001年9月、179-185頁、OCLC 5178494902 
  • 山野井泰史、平山 ユージ「Actual Feeling 山野井泰史vs平山ユージ--頂点の実感」『岳人』第667号、2003年1月、66-73頁、OCLC 5175973637 
  • 山野井泰史、降籏 学「家族のかたち 山野井泰史 日本最強のクライマー夫婦をつなぐ太いロープ」『読売ウイークリー』第62巻第2881号、2003年8月17日、38-40頁、OCLC 5174096464 
  • 山野井泰史、山野井 妙子「(224) 山野井泰史・妙子夫妻」『週刊朝日』第109巻33 (4632)、2004年7月16日、68-71頁、OCLC 5174730126 

参考文献

  • 丸山直樹『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』山と溪谷社、1998年11月。 NCID BA39158335 [注釈 2]

関連文献

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI