岡崎市立甲山中学校
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| 岡崎市立甲山中学校 | |
|---|---|
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北緯34度57分35.21秒 東経137度10分44.72秒 / 北緯34.9597806度 東経137.1790889度座標: 北緯34度57分35.21秒 東経137度10分44.72秒 / 北緯34.9597806度 東経137.1790889度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
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| 校訓 | 質実剛健 |
| 設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月18日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | C123210001340 |
| 所在地 |
〒444-0015 愛知県岡崎市中町北野東20-1 |
| 外部リンク | 公式サイト |
1947年(昭和22年)4月に開校した[1]。校名の「甲山」の由来は、同市六供町の甲山(かぶとやま)から。
| 調査日 | 児童数 | 通常学級 | 特別支援学級 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 2013年4月8日 | 798人 | 23 | 3 | [2] |
| 2019年5月1日 | 776人 | 21 | 4 | [3] |
| 2020年5月1日 | 803人 | 22 | 4 | [4] |
| 2021年5月1日 | 806人 | 22 | 6 | [5] |
| 2022年5月1日 | 815人 | 21 | 7 | [6] |
| 2023年5月1日 | 765人 | 21 | 6 | [7] |
| 2024年5月1日 | 746人 | 21 | 5 | [8] |
| 2025年5月1日 | 747人 | 20 | 6 | [9] |
部活動は、卓球部、剣道部、野球部、ソフトテニス部、陸上部、柔道部、サッカー部、バレーボール部、バスケットボール部、駅伝部、吹奏楽部、手芸茶華道部、美術部、メディア部などがある。
学区
| 小学校名 | 町名 |
|---|---|
| 梅園小学校 (全域) | 梅園町、伝馬通、曙町、門前町、久右エ門町、花崗町、亀井町、籠田町、西中町、六地蔵町、祐金町、十王町、箱柳町字中立(通称滝団地を除く。)、両町1丁目、両町2丁目8(市道伝馬線以北)、中町(字野添・字屋敷裏・字北野・字天神ケ入・字長狭間8番地50~8番地86)、 稲熊町字1丁目、稲熊町字2丁目、稲熊町字3丁目、稲熊町字4丁目、稲熊町字5丁目、稲熊町字6丁目、稲熊町字7丁目、稲熊町字8丁目、稲熊町字赤松、稲熊町字祭田、稲熊町字大岩、稲熊町字猫沢、稲熊町字大岡作、稲熊町字蓬田、稲熊町字山道、稲熊町字宮下、稲熊町字海深、稲熊町字滝道、稲熊町字山神戸(1番地1~3番地1・32番地~37番地・40番地1~40番地6・40番地10~40番地16・40番地19~40番地35・41番地1)、稲熊町字森下、稲熊町字中屋敷、稲熊町字寺下、稲熊町字向畑、稲熊町字後田(愛知県立岡崎北高等学校東門に通ずる東西の道路以南)、 伊賀町字3丁目(29番地~36番地・69番地~75番地7)、六供町字南丸根、六供町字南佐助、六供町字南床屋、六供町字杉本、六供町字1丁目(85番地~96番地2)、六供町字2丁目(1番地~22番地・ 30番地~31番地・32番地・42番地1)、六供町字3丁目、六供町字4丁目 |
| 根石小学校 (全域) | 根石町、朝日町、若宮町、小呂町、蓬萊町、欠町、元欠町、栄町、両町2丁目(市道伝馬線以南)、両町3丁目、中町字番町、中町字東丸根、中町字長狭間(8番地50~8番地86を除く。)、中町字小猿塚、中町字北野東、中町字栄町、中町字大門通、中町1丁目~10丁目 |
(2022年12月26日現在[10])
沿革


- 1947年(昭和22年)4月18日 - 開校式を行う。
- 1948年(昭和23年)9月20日 - 岡崎市立根石小学校校舎を使用。
- 1949年(昭和24年)5月13日 - 火災のため、校舎の3分の2を焼失。
- 1951年(昭和26年)3月29日 - 現校地に校舎1期工事完工。
- 1961年(昭和36年) - 校舎2・3期工事完工。
- 1960年(昭和35年)7月8日 - 体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)6月25日 - 鉄筋4階建の校舎が完成。
- 1982年(昭和57年)4月 - 女子の服装の規則が「制服はスカートだが、トレパンを着用」と定められる[11]。
- 1989年(平成元年)4月 - 女子のトレパンが廃止[12]。
- 1992年(平成4年) - プールの増改築。
- 1993年(平成5年) - 体育館の増改築。
- 2007年(平成19年)1月 - 全国中学校文芸作品コンクール「文部科学大臣賞」受賞。
- 2008年(平成20年)1月 - 男子駅伝部、岡崎市民駅伝優勝(31年ぶり)。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 「F組」と呼ばれる校内フリースクールが甲山中学校、福岡中学校、矢作中学校の3校に設置される。制度導入は県内では初めて[13][14][15]。
管理教育と暴行事件
1976年(昭和51年)8月。卒業から5か月ほど経ったが、一部の者たちは暴力教師Yから受けた体罰の苦しみがまだ残っていた。Yを辞めさせなければならないと思った元生徒たちはどこに訴えを持っていいのか分からず、県教育委員会に請願書を提出した[16]。3年後の1979年(昭和54年)12月24日、数人の卒業生が89人の署名を添えて岡崎市教育委員会に請願書を提出した。「授業中にラシャばさみで男子生徒の頭をトラ刈りした」「『級長はなぐられるためにある』として、級長を教室の前に呼び出し、ビンタをしながら50メートル離れた図書館前まで追い込んだ」「生徒の襟首をつかんで廊下をひきずり、階段から踊り場へ突き落した」など、甲山中の教師たちが行った行為が21項目にわたって記されていた[17]。奸智に長けた学校側はからめ手でこれに対抗した。「どうもお宅のお子さんが危険な連中と付き合っているようで」と元生徒の父母に対して説得を行ったり、「そんなことをすれば地元では絶対に就職できないぞ」と直接元生徒を脅したりした。親族の一人が教員試験を受けていることがわかると、市教委の幹部を通じて「君がこんなことをしていると、周囲に迷惑がかかるかもしれないな」と言って、元生徒らを震え上がらせた[17]。
1980年(昭和55年)2月26日、朝日新聞が上記の請願書提出のあらましを報じた[16]。同年3月の市議会定例会で問題化されるも[18]、管理教育に基づく強権的指導法[19]が変わることはなかった。そして暴力の連鎖を引き起こした。
1981年(昭和56年)末からシンナー遊びやオートバイの盗難などによる補導が目立ち始める中、1982年(昭和57年)3月2日に教諭一人が生徒に殴られる事件があった。3月4日午前、浅井校長は3年生のグループ9人を校長室に呼び「進学や就職が決まったからといって安心して気を緩めては駄目だ。これから入試を控える生徒を手助けするぐらいのまじめな態度で学校に来なさい」と指導した。同日午後12時40分頃、グループのうちの男子生徒7人は、3年6組の担任Nに「朝、生活指導されたことで話し合いがしたい」と同組教室に呼びつけた。Nは一人で教室に行くが、心配した同僚の教師が様子を見に行き、生徒たちはほかの教師の立ち聞きをとがめた。それから約30分近くにわたって、教師12人に殴る蹴るの暴行を加えた。警察署員約10人が学校からの通報で駆けつけると、生徒は「何だお前らは」などと署員に食ってかかり、さらに乱暴した。警察は3人を現行犯で逮捕。4人を補導した[20][11]。
同年3月5日、岡崎市教育委員会は緊急校長会を開催。鈴村正弘教育長は「すべてが生徒を指導する教育者の責任。再発防止に全力を尽くせ」と指示し[21]、同日、辞表を提出[22]。3月31日付で辞職した[23][24]。
同年4月から、甲山中学校では、女子の服装の規定が「制服はスカートだが、男子と同じトレパン(白い綿の長ズボン)を着用」となった[11][25]。生徒と親は「スカートはなぜいけないのか」「納得できる説明がない」とつめよるが、学校側は「とにかく規則ですから守ってください」で押し通した。当時の教育委員会は女子にトレパンをはかせることを「非行根絶への道の一つ」と考えていた。教員もそれを信じて指導を行った[11][注 1]。
生徒は1988年(昭和63年)から制服の見直しについて生徒総会、アンケート、クラス討議を積み重ね、学校側に提案。1989年(平成元年)4月、女子のトレパンはついに廃止された[12]。
