岡崎惟素
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1840年(天保11年) 、備前国御野郡内田村(現・岡山市)生まれ。1870年(明治3年)、30歳の時は、岡山藩家老で金川領主の日置健太郎支配の下級藩士(陪臣)であった。廃藩置県後は東京に出て、官吏となるも、1877年(明治10年)36歳の時に岩崎弥太郎が創設した三菱商会に書記係として入社。のちに本社副支配人となる。1887年(明治20年)、三菱の荘田平五郎・内田耕作・浅田正文・岡本健三郎らと共に日本郵船(共同運輸と三菱汽船との合併会社)を創立した。
1898年(明治31年)、松浦詮(心月庵)伯爵が在京の華族、名士等と設立した輪番茶事グループ「和敬会」の会員となる。会員は岡崎、松浦のほか、青地幾次郎(湛海)・石黒忠悳(况翁)・伊藤雋吉(宗幽)・伊東祐麿(玄遠)・岩見鑑造(葎叟)・金澤三右衛門(蒼夫)・戸塚文海(市隠)・東胤城(素雲)・東久世通禧(古帆)・久松勝成(忍叟)・松浦恒(無塵)・三田葆光(櫨園)・三井高弘(松籟)・安田善次郎(松翁)の以上16人(後に益田孝(鈍翁)、高橋義雄(箒庵)が入会)で、世に「十六羅漢」と呼ばれた。
1905年(明治38年)5月20日の明け方、新宿の別邸に於いて没。享年65歳。谷中霊園に葬られた。戒名は正源院大心了徹居士。墓碑は一周忌である明治39年5月20日に嗣子の遠光により建てられた。
