岩崎忠義

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1948-09-12) 1948年9月12日(77歳)
身長
体重
178 cm
83 kg
岩崎 忠義
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県津久見市
生年月日 (1948-09-12) 1948年9月12日(77歳)
身長
体重
178 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 第2次ドラフト2位
初出場 1967年6月13日
最終出場 1981年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩崎 忠義(いわさき ただよし、1948年9月12日 - )は、大分県[1]出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

津久見高では、同期のエース三浦保雄を擁し、三塁手として2年次の1965年、3年次の1966年夏の甲子園国体に連続出場。1965年の夏の選手権は準々決勝に進むが、秋田高に大敗[2]。同年秋の岐阜国体は準決勝で、岐阜短大付高淵上澄雄に抑えられ敗退。

1966年の夏の選手権は、1回戦で荒武康博がいた報徳学園に敗退[2]。同年秋の大分剛健国体では決勝に進むが、松山商西本明和に完封を喫し準優勝にとどまる。1年下のチームメートに、控え投手吉良修一がいた。

同年の第2次ドラフト2位で、東京オリオンズへ入団[1]。外野手に転向し右の強打者として大きく期待される。二軍暮らしが長かったが1968年オフにはサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1A・フレズノに留学するなど徐々に力を付け活躍し、1974年中日との日本シリーズでは第4戦から1番・右翼手に抜擢され、16打数6安打2打点を記録して日本一に貢献。1976年には主に2番・右翼手として68試合に先発出場を果たすが、1977年以降はレロン・リー白仁天の入団もあって出場機会が減り、1980年には自由契約となり翌年の合同自主トレに参加した日本ハムに春季キャンプ直前になって移籍[1]。ここでもあまり出番がなく、1981年限りで現役を引退[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1967 東京
ロッテ
9771100010000000010.143.143.143.286
1968 11442200151000000020.500.5001.2501.750
1969 5420173300031011110021.176.211.176.387
1970 624642713201184321030071.310.356.429.784
1971 67353469300125111000050.265.265.353.618
1972 5757531015100167020040051.283.333.302.635
1973 8311110513317014112844020066.295.308.390.699
1974 85172150154162051633611401115.273.337.340.677
1975 1092742442461704802483811902274.250.308.328.636
1976 116331294317411049719549126003611.252.312.330.641
1977 9516915917344124680180210284.214.224.289.513
1978 104177161123120136133370900263.193.235.224.459
1979 4434306400172011030031.133.212.233.445
1981 日本ハム 2025233511082000110062.217.240.348.588
通算:14年 91614621323150324444154211043125465841316539.245.290.318.609
  • 東京(東京オリオンズ)は、1969年にロッテ(ロッテオリオンズ)に球団名を変更

記録

背番号

  • 32 (1967年 - 1971年)
  • 4 (1972年)
  • 35 (1973年 - 1974年)
  • 7 (1975年 - 同年途中)
  • 15 (1975年途中 - 1980年)
  • 49 (1981年)

関連項目

脚注

外部リンク

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