峰山1区
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構成する大字
歴史
中世・近世

鎌倉時代には丹後国丹波郡に吉原荘という荘園があり、小西川の流域一帯を範囲としていたとされる[2]。
天文24年(1555年)、徳及阿闍梨によって常立寺が創建された[3]。天正10年(1582年)、細川興元は一色氏の山城である吉原山城の麓に嶺山(峰山)の城下町を建設した。元和2年(1616年)には京極高通によって峰山陣屋が構えられ、元和8年(1622年)には峯山藩が立藩された。
江戸時代には吉原庄という広域地名があり、「文化郷村帳」は峰山町村・安村・西山村・小西村・杉谷村の5か村を、『丹哥府志』では峰山町村・安村・西山村・小西村・杉谷村・菅村・丹波村・矢田村・橋木村・赤坂村・石丸村の11か村が吉原庄とされている[2]。陣屋町としての峰山の町が発展するにつれて、吉原庄という概念は薄れていった[2]。
享保年間(1716年~1736年)には、絹屋佐平治(森田治郎兵衛)によって丹後ちりめんが生み出されて峯山藩の特産品となった。
近代

1869年(明治2年)には峰山町の町の分合や改称が行われ、不断町、上町、織元町、室町、呉服町、浪花町、白銀町、泉町、御旅町、堺町、富貴屋町の11か町となったが、後に吉原町、古殿町、光明寺町、四軒町が加わって15か町となった[4]。廃藩置県後の1871年(明治4年)にはまず峰山県の所属となり、次いで豊岡県の所属となった後、1876年(明治9年)に京都府の所属で落ち着いた。1889年(明治22年)、町村制にともなって中郡峰山町や吉原村が発足した。
1927年(昭和2年)3月7日には北丹後地震が発生し、峰山町における倒壊率は98.8%、焼失率は83.6%、死亡率は24.3%にも達した[5]。不断では倒壊率100%、焼失率95.3%を記録したが、峰山市街地から離れている吉原は大規模な火災を免れている[5]。
| 1927年3月7日の北丹後地震における被害[5] | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 字 | 総戸数 | 倒壊戸数(倒壊率) | 焼失戸数(焼失率) | 人口 | 死者数(死亡率) |
| 吉原 | 67戸 | 66戸(98.5%) | 26戸(38.8%) | 313人 | 61人(19.4%) |
| 不断 | 43戸 | 43戸(100%) | 41戸(95.3%) | 173人 | 45人(26.0%) |
| 峰山町計 | 1035戸 | 1006戸(98.8%) | 849戸(83.6%) | 4584人 | 1103人(24.3%) |
現代
1955年(昭和30年)1月1日、峰山町・吉原村・五箇村・新山村・丹波村の1町4村が合併、改めて峰山町が発足し、峰山町の字として吉原、不断、四軒、赤坂が設置された。2004年(平成16年)4月1日、峰山町・大宮町・弥栄町・網野町・久美浜町・丹後町の6町が合併して京丹後市が発足し、京丹後市の大字として峰山町吉原、峰山町不断、峰山町四軒、峰山町赤坂が設置された。
施設

- 京丹後市立峰山小学校
- 一区区民公民館
- 桜尾公園
峰山小学校
峰山小学校は「峰山1区のシンボル」とされる[1]。峯山藩の藩校として敬業堂(敬業館)があったが、学制発布後の1869年(明治2年)には敬業館が廃され、峰山吉原小学校として創立された[6]。1887年(明治20年)には峰山尋常小学校に改称[6]。1927年(昭和2年)の北丹後地震では校舎が壊滅したほか、教員8名死亡、園児・児童・生徒204人死亡という甚大な被害を出した[6]。
復興過程の1929年(昭和4年)に鉄筋コンクリート造の本館が完成した[7][8]。なお、峰山小学校と同じ一井九平の設計によって、小学校と同年には丹後震災記念館も竣工している[9]。1947年(昭和22年)には学校教育法によって峰山町立峰山小学校に改称し、2004年(平成16年)には京丹後市が発足したことで京丹後市立峰山小学校に改称した[6]。
名所・旧跡

- 金峰神社 - 1930年(昭和5年)に権現山から桜尾公園の現在地に移された神社[10]。「峰山最古の神社」とされる[1]。金刀比羅神社の神輿渡御祭では御旅所となる[11]。
- 金峰神社奥宮 - 1930年(昭和5年)までの金峰神社の本宮。かつて吉原山城があった権現山に鎮座する[12]。
- 吉原山城本丸跡 - 標高180メートルの吉原山に築かれた山城[1]。
- 峰山陣屋跡(京極陣屋跡)
- 常立寺 - 峯山藩の藩主を務めた京極氏の菩提寺。「絹本著色釈迦十六善神像」「絹本著色不動明王像」「紙本著色京極家歴代藩主肖像画」は京丹後市指定文化財[14]。
- 金峰神社奥宮
- 峰山陣屋跡のエノキ
- 常立寺
- 峯山藩主京極家墓所
- 森田治郎兵衛翁の墓
