崇道天皇神社
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藤原種継暗殺連座の疑いを受け、淡路国配流の途上薨去され、その後祟りをなしたとされる早良親王を祀る神社であり、御霊社としての性格を強く持つ。淡路国から大和国八島に改葬された早良親王の陵墓である八島陵には、1886年(明治19年)まで早良親王を祀り慰める崇道天皇社が存在したが、同一の郷に属する近隣の町内にはそこから勧請したとみられる小社が残されている[2]。奈良市西紀寺町の崇道天皇社の場合は、南都御霊会で用いられた八所御霊の神輿のうち、崇道天皇の神輿舎があった場所に成立した神社とみられている[3][4][5]。
地方、特に山陽地方に残る崇道神社あるいはソウドウ社においては、延暦24年(805年)、朝廷より諸国に命じて郡ごとに作らせた崇道天皇御倉が元となり、倉の廃絶後、後世神社となったとする説がある[6][7][8]。崇道天皇御倉とは、諸国郡に初穂40束を正税として納めさせ、早良親王御霊の鎮撫のために毎年積立させるために設けた正倉であるという[6][7][8][9][10][11]。
逆に崇道神社を名乗りながら、早良親王が祀られない事例も存在する。嘉吉元年(1441年)の『興福寺官務牒疏』によると、山城国相楽郡土師郷に鎮座した崇道天王神は、祭神が舎人親王であったという[12][2]。舎人親王の追尊号が崇道尽敬皇帝であったことによる省略、取り違えであろうと考えられる[2]。
