左丘明

From Wikipedia, the free encyclopedia

左丘明(さきゅうめい、生没年不詳)は、中国春秋時代の人物。『論語』に登場する。

伝統的に『春秋左氏伝』や『国語』の作者とされているが、『春秋左氏伝』の偽作説とも関連し、不明な点が多い。

「左丘明」という名前がどのように区切られるかは、諸説ある。

  • 「左」が氏で、「丘明」を名とする。もっとも伝統的な説である[1]
  • 「左丘」が氏で、「明」を名とする[2]
  • 「左」は官職(左史)で、「丘」が氏、「明」を名とする[3]

「左邱明」と書いてあることもあるが、これは孔子の名の「丘」を避諱したものである[4]

出身

伝統的にの人とされる[5]。『魏書』地形志は、兗州東平郡富城県[6]に左丘明の冢があると記す。

時代

論語』公冶長篇では、孔子が左丘明を称えているため、孔子と同時代かそれより前の人と見られる。

『春秋左氏伝』の作者については、劉向『別録』にて、「左丘明が『左伝』を曽申(曽子の子)に伝え、曽申が呉起に伝えた」としている[7]。このことからは孔子と同時代か、それより少し後の人と見られる。

失明説

史記』太史公自序によると、左丘明は目が見えなかったという[8]

春秋左氏伝

『史記』十二諸侯年表に左丘明が『左氏春秋』を作ったことを述べ[5]、『漢書』司馬遷伝も同様である[9]

ただし、『春秋左氏伝』の指す「左氏」が左丘明でないとする説も以来存在する[10]。また、司馬遷の言う『左氏春秋』が現在の『春秋左氏伝』と同一の書であったかどうかは、劉逢禄以来の議論がある。

国語

子孫

脚注

Related Articles

Wikiwand AI