十二諸侯年表には、周を除くと十三の諸侯国が記載されているが、年表は「十二諸侯」という名前で、どの諸侯国を除いたのかについて、呉説、秦説、魯説などの異なる学説がある。
呉説によると、十二諸侯には呉が含まれておらず、呉が四夷であり、この時期の末期に台頭したため、司馬遷はこれを除いて十二諸侯としたとする[1]。秦説によると、後に国を統一した秦は特殊な地位にあったため、十二諸侯には秦を含まなかったとする[2]。魯説によると、十二諸侯には魯が含まれておらず、年表で魯は周の次に位置しているため、十三諸侯の筆頭とされているが、これは「春秋」を作った魯の孔子を独尊するためとする[3]。