済州左氏
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歴史
始祖左亨蘇は元の天官侍郎で、高麗忠烈王初期の1270年に耽羅の牧馬場の監牧官に赴任して、済州島に定着したのが始まりと伝えられている。済州島のポニー(済州馬)はこの時に左亨蘇が連れてきたモウコウマの子孫である。左氏は左亨蘇の遺言通り、先祖累代の地中国山東省の青州を本貫にしていたが、1922年の朝鮮戸籍令により、青州という地が韓国にないため、音が同じである清州に本貫を変更した。一方、代々暮らしてきた済州を本貫にした者もいた。
済州は耽羅総管部が廃止され、耽羅が高麗に返還後でも、牧胡の支配下にあったが、崔瑩将軍が1374年8月に牧胡の乱を鎮圧した後、高麗に再編入された。以後子孫代々受け継がれた監牧官を6世孫左漢棄の代になり、高麗に返納し、完全に帰化した。この際に左漢棄は居住していた旧左邑漢東里を離れ、翰京面頭毛里に移住した[2]。