平野勝之 (ゴルファー)

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平野 勝之
Katsuyuki HIRANO
基本情報
生誕 1944年1月22日
国籍 日本の旗 日本
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平野 勝之(ひらの かつゆき、1944年1月22日 - )は、日本プロゴルファー

1967年の西日本オープンでは柳田勝司西宮辰幸上田鉄弘藤井義将細石憲二を抑えて中部銀次郎の2位[1]、西日本サーキットBSシリーズでは8位に入り、長崎シリーズでは木本与石井裕士新井進杉原輝雄宮本省三今田慶之助河野高明・細石・海野憲二を抑えて優勝[2]

1967年には澤田芳男(熊本大学名誉教授)が高速度カメラを使ってプロゴルファーの動作分析を行ったが、平野が最初の対象選手となった[3]

1971年ブリヂストントーナメントでは10位[2]に入り、1972年アジアサーキットではフィリピンオープン郭吉雄中華民国)、フランク・フィリップスオーストラリア)、G.ウォルス・テンフォルムイングランド)と並んでの10位タイ[4]マレーシアオープン謝敏男(中華民国)と並んでの10位タイ[5]台湾オープンではウォルター・ゴドフリーニュージーランド)と並んでの10位タイ[6]に入った[7]

1973年の第1回KBCオーガスタでは今井昌雪・石井裕・宮本省三村上隆ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、吉川一雄と並んでの7位タイに入った[8]

1975年KBCオーガスタでは3日目にテッド・ボール(オーストラリア)、郭吉雄(中華民国)、小林富士夫森憲二と並んでの10位タイに浮上[9]。最終日にはボールと共に草壁政治ビル・ダンク(オーストラリア)と並んでの10位タイに留まった[10]

1975年のダンロップフェニックストーナメントでは初日に石井裕・川上実野口英雄新井規矩雄内田繁セベ・バレステロススペイン)、許勝三(中華民国)・橘田光弘と並んでの6位タイでスタートした[11]

1976年サントリーオープンでは初日を青木功上野忠美原政雄矢部昭・謝敏・郭吉、ミヤ・アエビルマ)、ロジャー・モルトビー&オービル・ムーディ&ロン・ヒンクルアメリカ)と共に69をマークして9位タイでスタートし[12]、2日目も青木・アエと共に小林・宮本省と並んでの9位タイ[13]に着けた。

1978年静岡オープンでは初日に陳健振&呂良煥(中華民国)・栗原孝・青木・森憲二と並んでの3位タイ[14]でスタートし、中部オープンでは最終日に65をマークして井上幸一鈴村久石井秀夫に次ぐ4位[15]に入った。

1978年の日本プロでは川波通幸山本善隆と共に[16] [17]2日目には鷹巣南雄草柳良夫横島由一[16]、3日目には小林・森本俊治[17]と並んで2日連続10位タイ[16] [17]に着けた。

1980年の中部オープンでは2日目に69をマークして5位に着け[18]1987年関西オープン[19]を最後にレギュラーツアーから引退。

2001年からは大阪学院大学ゴルフ部監督に就任し[20]、後に総監督も務め[21] [22]、在任中は関西学生1部リーグ9連覇と全国大学対抗戦2位1回(2012年)・3位2回(2013年, 2014年[23]に導いた。

主な優勝

脚注

外部リンク

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