広島小1女児殺害事件

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標的 小学1年生女子児童(当時7歳)[1]
日付 2005年平成17年)11月22日[2]
午後(発見は同日15時頃)[2] (UTC+9)
概要 日系ペルー人の男がわいせつ目的で女子児童を誘い出し、陰部及び肛門に指を挿入するなどのわいせつ行為をした上で頸部を片手で絞めて殺害した[3]。また、一連の行為と並行して自慰を行い、射精した[4]。その後、遺体を段ボール箱に梱包して近くの空き地に遺棄した[5]。この他、偽造パスポートを利用してペルーから名古屋空港(現・名古屋飛行場)を経由して日本に不法に入国、在留した[6]
広島小1女児殺害事件
場所 日本の旗 日本広島県広島市安芸区矢野西4丁目[1]
標的 小学1年生女子児童(当時7歳)[1]
日付 2005年平成17年)11月22日[2]
午後(発見は同日15時頃)[2] (UTC+9)
概要 日系ペルー人の男がわいせつ目的で女子児童を誘い出し、陰部及び肛門に指を挿入するなどのわいせつ行為をした上で頸部を片手で絞めて殺害した[3]。また、一連の行為と並行して自慰を行い、射精した[4]。その後、遺体を段ボール箱に梱包して近くの空き地に遺棄した[5]。この他、偽造パスポートを利用してペルーから名古屋空港(現・名古屋飛行場)を経由して日本に不法に入国、在留した[6]
攻撃手段 絞殺[3]
攻撃側人数 1人[3]
死亡者 1人[7]
犯人 日系ペルー人の男X(のち33歳と判明[8]
容疑 殺人・死体遺棄・強制わいせつ致死・出入国管理及び難民認定法違反(不法入国、不法在留)
動機 わいせつ目的[9]
対処 Xを海田警察署捜査本部逮捕広島地方検察庁起訴[10]
謝罪 逮捕された翌日、「今は(神に)祈っている。女の子や両親に謝りたい」と謝罪した[11]
刑事訴訟 無期懲役(差し戻し控訴審判決・上告せず確定[12]
管轄
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広島小1女児殺害事件(ひろしましょういちじょじさつがいじけん)とは、2005年平成17年)11月広島県広島市安芸区矢野西で帰宅途中の女子児童がペルー人の男によって強制わいせつの上、殺害された事件[7]。この事件は裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた結果、従来に比べて短い期間で判決が下されたことで公判における証拠調べのあり方について問われることとなった[13][14][15]。また、被告人ペルーにおける前科に関する捜査資料の証拠採用の可否も注目された[16]。この他、女子児童の遺族が各種報道機関に対して実名報道や性犯罪の詳細を報道するように要請したことが性犯罪被害者や犯罪被害者支援団体から大きな反響を呼んだ[17]

2005年11月22日午後、下校途中の女子児童(当時7歳)が学校を出てから行方不明となり、同日15時頃に空き地に放置されていた段ボール箱の中から遺体となって発見された[18]

発見時、女子児童は制服姿でしゃがみ込むような姿勢で段ボール箱に無理やり押し込められており、粘着テープで梱包されていた[2][19]。また、目立った外傷は見当たらなかった[2]

この日は来春に入学する児童の就学前検診のために午前で授業が終わり、12時30分頃に下校していた[2][20]。普段は一緒に下校している友達が早退していたため、女子児童は一人で下校していた[注 1][18][2]

捜査

広島県警察捜査一課は殺人事件と断定して海田警察署捜査本部を設置[18][7]。捜査員約200人態勢で通学路周辺の捜索や周辺人物の聞き込みなどの捜査を開始した[21]。また、下校当時に女子児童が着ていた制服などをイラストにして公開し、情報提供を呼びかけた[22]

司法解剖の結果、死因は絞殺による窒息死で、推定死亡時刻は13時から14時と判明した[23][24]。登下校時に身につけていたランドセルが失くなっていたが、遺棄現場から北東約300メートルの植え込みで紙製ごみ袋に入れた状態で見つかった[25]。また、ランドセルにつけていた防犯ブザーも奪われていた[26]

遺留品などを調べたところ、段ボール箱を梱包していた粘着テープから指紋が検出されたため、犯人のものと見て調査を開始した[27]。また、女子児童の制服から犯人のものと見られる汗が検出されたため、汗をDNA型鑑定すると同時に前歴者との照合を開始した[28]

その後の捜査により、遺体が入れられていた段ボール箱から東広島市ホームセンターで売られていたガスコンロを購入した顧客が割り出された[19][29][30]。これを受けて11月29日夜、捜査本部は事件現場の近所に住んでいた自称・ペルー人の男X(当時30歳と自称していたが、後に33歳であることが判明[31])を指名手配した[32]

2005年11月30日、捜査本部はXを三重県鈴鹿市内の親族宅で殺人死体遺棄容疑で逮捕した[33][34]。また、DNA型鑑定の結果、女子児童の制服に付着していた汗とXのDNAが一致した[35]

Xはペルー国内でも未成年者に対する3件以上の婦女暴行をしたとして指名手配されていたため[36][37]、本名を偽って就労ビザを不正取得したうえで2004年4月に日本に渡航していたことが判明した[38]。Xは当初は三重県に在住し、2005年夏頃に広島県に引っ越していた。母国には女子児童と同じくらいの年齢の子供を残してきていた[39]

逮捕当初,Xは容疑について「覚えがない」「知らない」などと全面的に否認していたが、翌日には「アパート2階の自室に上る階段の上り口近くで殺害した」と一転して容疑を認めた[40][41]。その上で「女の子に謝りたい。反省している。両親におわびしたい。殺すつもりはなかった。悪魔が入ってきた」とも述べた[注 2][40]。また、偽造パスポートを利用して日本に入国をした理由については「本名ではパスポートをとれなかった」と説明した[43]

2005年12月13日、広島簡裁(渡部寿夫裁判官)は弁護側が勾留理由開示請求をしたため、同日出廷したXに対して「事件は重罪で、単身で来日して現在は無職であるなど生活状況からみて逃走の疑いがあり、犯行の経緯や動機、状況から見ると罪証を隠滅する恐れを疑う相当の理由がある」と勾留理由を開示した[44]

2005年12月21日、広島地検はXを殺人・死体遺棄・強制わいせつ致死の罪で起訴した[注 3][46]

事件後、殺害現場である被告人Xが住んでいたアパートは、取り壊され駐車場となった。

反響

学校

女子児童が通学していた矢野西小学校では保護者集会が非公開で開かれ、学校側が本事件の概要を説明した後、広島県警察から今後のパトロール強化や通学路への警察官の配置などについて説明した[47]。今後の対応として、事件前までは週に数回、保護者らが交代で通学路に立って登下校を見守ってきたが、事件後の最初の登校日となる11月24日は教職員と保護者らが登下校時とに同行することを決めた[注 4][47]

広島県

広島県と広島県警察は緊急通報や防犯カメラなどの機能を併せ持つ「スーパー防犯灯」を2006年度に導入するにあたって、設置箇所などの検討を開始した[48]。設置箇所は主に通学路や公園など子どもがよく利用する場所を想定しており、再犯防止とともに街頭の防犯設備の充実を達成できるとしている[48]

ペルー政府

Xの逮捕を受けて在東京ペルー総領事館は、Xの写真と指紋の提供を求めるために領事を広島県に向かわせた[49]。また、ペルー外務省はXが偽名で不法入国した可能性を認めた上で、女子児童の遺族に対して「政府と国民を代表して深いお悔やみを申し上げる」と弔意を表した[50]

事件当時の報道

実名報道の是非

当初、女子児童は実名報道されていたが、性的暴行を受けた事が判明したため、各種報道機関は遺族の感情を考慮するという名目の下、実名報道を取りやめた。しかし、その後、遺族が氏名報道を行うこと、性犯罪が行われた事実を報道することを各種報道機関に要請したため、実名報道及び性犯罪に関する報道も復活する形となった[注 5][52]

裁判

最高裁判所判例
事件名 強制わいせつ致死、殺人、死体遺棄、出入国管理及び難民認定法違反被告事件
事件番号 平成21年(あ)第191号
2009年(平成21年)10月16日
判例集 刑集第63巻8号937頁
裁判要旨
  1. 刑事裁判において、関係者、取り分け被告人の権利保護を全うしつつ、事案の真相の解明することが求められる。したがって、審理の在り方としては、合理的な期間内に充実した審理を行って事案の真相を解明することができるよう、具体的な事件ごとに、争点、その解決に必要な事実の認定、そのための証拠の採否を考える必要がある。そして、その際には、重複する証拠その他必要性に乏しい証拠の取調べを避けるべきことは当然であるが、当事者主義(当事者追行主義)を前提とする以上、当事者が争点とし、あるいは主張、立証しようとすることの内容を踏まえて、事案の真相の解明に必要な立証が的確になされるようにする必要がある。
  2. 第1審で被告人の検察官調書の取調べに関し、第1審裁判所に釈明義務を認め、検察官に対し、任意性立証の機会を与えなかったことが審理不尽であるとして第1審判決を破棄し、第1審裁判所に差し戻した原判決は、第1時的に第1審裁判所の合理的判断にゆだねられた証拠の採否について、当事者からの主張もないのに、審理不尽の違法を認めた点において刑事訴訟法294条、379条、刑事訴訟規則208条の解釈を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
第二小法廷
裁判長 古田佑紀
陪席裁判官 今井功中川了滋竹内行夫
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑事訴訟法294条、刑事訴訟法379条、刑事訴訟規則208条
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第一審・広島地裁

公判前整理手続が行われ、争点は殺意の有無と女子児童を死亡させた方法、わいせつ目的の有無、殺害場所、刑事責任能力の有無に絞られた[注 6][54][53]

2006年5月15日、広島地裁(岩倉広修裁判長)で初公判が開かれ、Xは罪状認否で「(殺す)意思を抱いたことはありません」と述べて起訴事実の一部を否認した[53]

冒頭陳述で検察官はXの犯行状況について詳細に説明[53]。 それによると、Xは事件当日の12時50分頃、自宅アパートの前の道路を1人で歩いていた女子児童にスペイン語で「hola(こんにちは)」と挨拶し、日本語で「あなた、お名前は」と話しかけながら携帯電話の画面を見せて気を引き、隙を見て女子児童をアパート2階の自室に連れ込んだ[53]。さらに、13時40分までの間に女子児童に対して陰部及び肛門に指を挿入し、弄ぶなどのわいせつ行為をした上で絞殺した[53][55]。殺害後、女子児童の遺体を自室にあったガスコンロの段ボール箱に入れ、自転車の荷台に載せて近くの空き地に運んで放置した、などと述べた[53]。一方、弁護人は「心神喪失状態で刑事責任能力はなかった」として殺人罪などについて無罪を主張した[53]

2006年6月9日、論告求刑公判が開かれ、検察官は「矯正は不可能で再犯は防げない。遺族の処罰感情は峻烈で社会的影響もきわめて重大」としてXに死刑を求刑した[56][57]。同日の最終弁論で弁護人は、Xが「この子を殺せ」という悪魔からの声を聞いたことで、自分の精神を支配された状態だったとして改めて殺意を否定した[58]。また、わいせつ目的についても「わいせつ行為をしたのは死亡後で、強制わいせつ致死罪は成立しない」として無罪を主張して結審した[注 7][58]

2006年7月4日、広島地裁(岩倉広修裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「児童を陵辱したあげく尊い命を奪った冷酷非情な犯行で社会にも多大な影響を与えたが、被害者は1人であり、計画性はなく、前科も立証されていない」としてXに無期懲役判決を言い渡した[60][61][62][6]

判決ではわいせつ行為を生前に行ったこと、「悪魔」は罪を逃れるための言い訳であり「責任能力はある」と認められた[62][63]。一連の犯行については「動機・経緯は卑劣かつ冷酷で、何ら酌むべき点はない」「犯行態様は残忍」「被害児童の尊い人命が奪われ、遺族の悲しみや社会に与えた影響も甚大で、結果は重大」「罪質・動機・犯行態様・結果の重大性・遺族の処罰感情・社会的影響・犯行後の行動からは永山判決が示す死刑の適用基準を満たしていると考えてもあながち不当とは言えない」などとXを厳しく非難した[62][64]。一方で、「殺害人数が1人である」「犯行に計画性がない可能性がある」「被告人が過去ペルー国内において犯した犯罪について指名手配中であったが無罪推定の原則前科が証明できない」などとも述べた[注 8][62][66]7月14日までに広島地検と弁護人の双方が判決を不服として控訴した[67]

控訴審・判決破棄差戻し

控訴審を前にして女子児童の父親はXに死刑判決を求める7022人分の署名を広島高検に提出した[68][69]

2007年11月8日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で控訴審初公判が開かれ、検察官は「一審判決は著しく軽く不当。再犯の可能性も高く、極刑で臨むしかない」として死刑の適用を求めた[70]。また、Xのペルーでの前歴に関する捜査資料について「犯罪性向の深さや、矯正改善の困難さなどを判断する上で重要な意義がある」として証拠請求した[70]。一方、弁護人は一審判決が認定した殺意などを否定した上で「(一審)判決は重すぎ。有期懲役が選択されるべき」と主張した[70]

2008年1月29日、証人尋問が行われ、弁護側が独自に鑑定を依頼した法医学者は「手による可能性を完全に否定するわけではないが、ひも状のもので絞められた可能性も高い」として一審が証拠採用した検察側の法医鑑定書について疑問を呈した[71]。同日の公判で広島高裁は弁護側が提出した法医鑑定書を証拠採用した[71]

2008年3月11日、被告人質問が行われ、Xは「事件当時、悪魔に支配されていた」と回答した他、女子児童に対するわいせつ行為について「そのような意図はなかった」と述べた[72]。一方、ペルーでの前歴2件について質問が及ぶとXは黙秘した[注 9][72][73]

2008年5月20日、広島高裁は検察官が請求したXのペルーでの前科に関する捜査資料について、検察官が請求した全31通のうち、1992年から1993年にかけて女児2人に性的暴行を加えた事件に関する捜査資料計6通を証拠採用した[注 10][74]。同日の公判で女子児童の父親は、意見陳述で「人間の心が全く感じられない。今でも極刑を望みます」と訴えてXに死刑を求めた[注 11][74]

2008年7月31日、最終弁論で検察官は「7歳の女児に対し、性的欲求を満たすために殺害してわいせつ行為に及び、死体を捨てた事件」と犯行態様の悪質性を強調した上で改めて死刑の適用を求めた[75]。また、Xの公判での言動についても「控訴審での言動も精神の異常性を窺わせるものはない」として完全責任能力があったと主張した[75]。一方、弁護人は、Xの公判の言動について「事件当時から統合失調症か、類似の精神疾患だった可能性がある」としてXは事件当時、心神喪失状態だったと述べ、殺人罪と強制わいせつ致死罪について無罪を主張して控訴審が結審した[注 12][75]

2008年12月9日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で控訴審判決公判が開かれ、被告人の検察官面前調書において、犯行場所についての供述を含んだ取り調べがされていなかったことは「弁護人が公判前整理手続きで任意性を争うとしたのに、1審は争点整理をまったくせず、当事者に任意性の主張すらさせないで証拠請求を却下した」として訴訟手続は違法であると指摘し、第一審判決を破棄した上で審理を広島地裁へ差し戻した[注 13][77][78][79]。その上で「供述が信用できれば、犯行は被告の部屋で行われたと認定でき、犯行態様などが相当明らかになる」と述べた[78]。また、スピード裁判で十分な審理が行われなかったことにも触れ、前科について破棄した事について「賛同することはできない」とした[79]

この判決に対し、広島高検は「適法な上告理由がなかった」として12月22日までに上告を断念した[80]。一方、弁護人は「控訴審判決のすべてが不服だ」として上告した[81]

上告審・高裁差戻し

2009年2月10日、最高裁第二小法廷古田佑紀裁判長)は弁護人の上告を受理した[82]。その後、最高裁第二小法廷は口頭弁論期日を同年9月11日に指定した[83]

2009年9月11日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で口頭弁論が開かれ、弁護側は「裁判所が調書を中心とした『精密司法』を維持するのか、法廷での言葉を中心とする公判中心主義を徹底した『核心司法』へ転換するのかが問われている」と述べて控訴審の判断は誤りだと主張した[84]。一方、検察側は「公判前整理手続きは、供述調書の取り調べを制限する趣旨ではない」として控訴審判決の維持を求めて結審した[84][85]。その後、最高裁第二小法廷は判決期日を同年10月16日に指定した[86]

2009年10月16日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は控訴審判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻した[87]。その理由は、検察官が第一審で取調べを請求したXの検察官面前調書の立証趣旨はXの弁解状況、殺意の存在及び被告人の責任能力とされ、犯行場所については立証趣旨とされていなかった[87]。そのような中で、第一審で被告人質問の内容から犯行場所に関する供述内容が記載されていると推測し、弁護人に具体的な任意性を争う点を釈明させ、検察に任意性立証の機会を与える義務まではないとして否定した[87]。さらに、検察官は控訴審においてこの点について特に解明する必要がないと態度をとっていた。したがって、第一審において釈明義務を認め、検察官に対し任意性立証の機会を与えなかったことが審理不尽として違法であるとし、当事者の主張もないのに、前記審理不尽を認めた判決は違法であるとした。

差し戻し控訴審・広島高裁

2010年4月8日、広島高裁(竹田隆裁判長)で差し戻し控訴審初公判が開かれ、検察官は「わいせつ目的で少女を殺害した比類なき悪質な犯行。更生の意欲も認められず極刑はやむを得ない」として改めて死刑が相当と主張した[88][89]。一方、弁護人は精神鑑定と情状鑑定を請求した他、改めて殺人罪と強制わいせつ致死罪について無罪を主張した[88][89]。また、Xのペルーでの性犯罪歴に関する資料を証拠から除外するよう求めた[89]。同日の公判では女子児童の父親が出廷し、意見陳述で「あなたは娘の最後を知るただ1人の証人。真実の証言を望んでいる」と訴えた[89]。なお、Xも公判に出廷したが、開廷直後から床に座り込み、大声をあげたり、履いていたサンダルで遊ぶなどの行動を繰り返したため、裁判長は「法廷にふさわしくない態度をとった場合、退廷させます」と警告した[89]

2010年4月14日、広島高裁は弁護人が請求した精神鑑定と情状鑑定について「必要性がない」として却下した[90]。弁護人は異議申し立てをしたが、広島高裁は弁護人の申し立てを棄却した[91][92]

2010年6月1日、検察官は「犯行は極悪非道の極みで、遺族の処罰感情はいまなお峻烈」と指摘した上で「被告の矯正は困難。遺族の処罰感情も厳しく、被害者が1人でも極刑はやむを得ない」として改めて死刑の適用を求めた[93][94]。一方、弁護人は事件当時、Xは心神喪失状態だったと主張し、無期懲役からの減軽を求めた他、証拠採用されたXのペルーでの性犯罪歴に関する資料について「確定判決がなく証拠能力はない」と主張して結審した[93][94]

2010年7月28日、広島高裁(竹田隆裁判長)で差し戻し控訴審判決公判が開かれ、一審・広島地裁の無期懲役判決を支持し、検察側・弁護側双方の控訴を棄却した[95][96]

判決では、Xが首を絞めて窒息死させた犯行態様から「確定的な殺意があったと十分に推認できる」と認定し、弁護側の強制わいせつ致死について無罪を求めた主張を退けた[95][97]。また、わいせつ目的についても「被害児童のパンツから検出されたDNA型とXのDNA型が一致したことや、第一審でXが『犯行当時に自慰をした』といった供述から、わいせつ目的があったと推認できる」と認定した[95][98]。さらに犯行当時の刑事責任能力についても「第一審の公判中に奇声を発するなどの奇行はあったが、日常生活で精神障害を窺わせる兆候は見られず、刑事責任能力に問題はなかった」と認定した[95][99]

一方、差し戻し前の控訴審で検察側が提出し、証拠採用されたXのペルーでの性犯罪歴に関する資料については「前歴の存在を十分な検討をすることもなく、刑事手続上の書面だけで認定することはできず、日本の前歴と同じ評価はできない」として量刑判断には用いなかった[95][100]。その上で「犯行の計画性は認められず、証拠上、考慮すべき前科は存在しない」と判断した[95]

以上を踏まえて量刑について、福山市独居老婦人殺害事件三島女子短大生焼殺事件の最高裁判例を引き合いに出しながら「反省の態度は到底十分とは言えないものの、矯正不可能な程度の反社会性、犯罪性があるとは裏付けられず、計画性及び前科の点を踏まえて無期懲役とした第一審判決は不当とはいえない」と結論付けた[95][101]

この判決に対し、検察側は遺族が上告を要請していた点も考慮して最高裁への上告を検討したものの「判決内容を検討したが、適切な上告理由を見いだすことができなかった」として上告を断念した[102]。また弁護側も「まっとうな判断」と差し戻し審の判決を評価して上告しなかったため、上告期限を迎えた8月12日午前0時をもって、Xの無期懲役の判決が確定した[102]

評価

白鷗大学法科大学院研究科長・土本武司は広島高裁が第一審判決を破棄した上で審理を広島地裁へ差し戻した判断について「検察側、弁護側双方の主張に触れず、1審の審理の進め方を訴訟手続き違反と切って捨てた判決。集中審理が行われた1審では迅速化を図るあまり粗雑な審理が行われ、最も大切な真実の発見という目的が達成されていなかったということを指摘したと言える」と評価した[13][79]。また、裁判員制度の施行を目前に控えていることも踏まえて「裁判員制度を前に、1審における公判前整理手続きをベースにした集中審理のマイナス面が現れてしまったのではないか。その意味でも高裁の指摘は重い」と指摘した[13]

早稲田大学大学院法務研究科教授・川上拓一は「供述内容をきちんと取り調べることで、犯行場所を特定できるとした高裁の指摘は妥当。真実解明の可能性が十分に残されていると判断したのだろう」と分析した上で「検察側・弁護側双方の意見を聞かずに、被告の供述調書の証拠請求を却下した1審の審理の進め方を問題視した結果で、高裁の判断は正当だ」と評価した[13]

産経新聞社説「主張」で「裁判迅速化は必要だが、1審判決のような雑な審理では、せっかくの裁判員制度を崩壊させることにもなりかねない。拙速審理は、冤罪にもつながる」と指摘した上で「公判前整理手続きに十分な時間を割いて、証拠調べを慎重に行い公判に備える必要があろう。公判になれば、裁判員にもわかりやすく、丁寧な審理を常に心がけることが求められる」と主張した[14]

その他

本事件の被害者は1年生の1学期まで千葉県船橋市小学校に通っていたが、自衛隊員である父親の転勤により2005年夏に転居後、2学期から事件が起きた広島県広島市安芸区の矢野西小学校[103]に通っていた[104]

Xが逮捕された5日後である12月5日に本事件と、同年12月に発生した栃木小1女児殺害事件による子どもの安全対策を問われた事に触れ、和歌山市市長大橋建一が「広島もかなり郊外ですし、栃木今市もイマイチのまちであります。そういうところで事件が相次いで起こる。我々のまちも全くひとごとではない」と発言した。大橋は、同年12月6日の本会議で発言を取り消した上「不用意な、配慮を欠いた発言だった」として謝罪した[105][106]

2011年3月18日、矢野西小学校で同級生の卒業式が開かれ、式典終了後に女子児童の卒業証書が母親に手渡された[107]。なお、父親は陸上自衛隊の一員として東日本大震災の災害派遣に同行したため、卒業式を欠席している[107]

参考文献

脚注

関連項目

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