広瀬村 (岐阜県)
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村名は、この地が広瀬氏の居住地だったことによる。1573年(天正3年)の文書には「小島庄廣瀬郷」の名が現れる。人家は3集落から成り、広瀬の集落が最大で、西村・北村・羽根村に分かれる。大草履は西方40町(約4.3km)のところにあって人家は山腹に散在した。浅又はその南方の浅又川(広瀬浅又川・坂内川の支流)に沿って広く散在するが、その多くは農繁期の際の住居に過ぎなかった[2]。
正保年間(1645年 - 1648年)に広瀬村は羽根村、西村、北村に分立したが、1875年(明治8年)6月1日に羽根村、西村、北村が合併して広瀬村が成立した[3][4]。
1616年(元和2年)の村高(石高)は414石1斗8升。1873年(明治6年)の調高では456石2斗6合、段別田41町8段5畝歩(約41.5ha)・畑12町4段21歩(約12.3ha)・屋敷5町2段15歩(約5.2ha)、外に試起田7町9段4歩(約7.8ha)・同畑2町1段6畝20歩(約2.1ha)があった[1]。
1897年(明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、坂本村、川上村と廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり[5]、同村の大字となる。
歴史
- 江戸時代 - 大垣藩領。
- 正保年間(1645年 - 1648年) - 広瀬村は、羽根村、西村、北村に分立する。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、大垣県に所属する。
- 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合に伴い、岐阜県に所属する。
- 1872年(明治5年)9月 - 大区小区制により美濃国を175区に分割。羽根村、西村、北村は75区に属する[6]。
- 1873年(明治6年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旧75区は第6大区6小区に属する[6]。
- 1875年(明治8年)6月1日 - 羽根村、西村、北村が合併して広瀬村となる[3][4]。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行に伴い大区小区制を廃止し、当村は大野池田郡役所(郡役所・大野郡三輪村)の管掌下となる[7]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制(明治44年4月7日法律第69号)施行により、自治体としての広瀬村が発足[8]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 池田郡広瀬村、坂本村及び、川上村が合併して坂内村が発足。同日、広瀬村廃止[5]。同日、池田郡が大野郡の一部と合併して揖斐郡となる[9][10]。
神社・仏閣
- 広瀬神社
教育
- 広瀬観成義校(後の揖斐川町立坂内小中学校。2022年(令和4年)3月31日廃校)