広袴町
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河川
歴史
武蔵国都筑郡幡屋郷に属し、その後、多摩郡小山田庄三矢田郷に属し、その後、多摩郡柚木領に属した。
地名の由来
小山田の臣 前島半弥が見回りをした時に「この地の形状はあたかも袴を広げたごとし」と語ったことに由来すると伝わる[7]。なお、地名の読みについては従来から存在する広袴町はひろばかまと濁るのに対し、真光寺町と広袴町の一部より分立して1999年に新設された広袴はひろはかまと濁らない読みが採用されている[5]。
沿革
- 1590年(天正18年) - 徳川家康の領地になる。
- 1729年(享保9年) - 分割され、一部が旗本 神谷武右衛門久敬の知行地になる。
- 1868年(慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事と韮山県の管轄になり、その後神奈川県に移管される。
- 1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
- 1873年(明治6年) - 区番組制により第八区四番組となる。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区一小区となる。
- 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
- 1889年(明治22年) - 広袴村と大蔵村、小野路村、金井村、真光寺村、能ヶ谷村、野津田村、三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字広袴となる。
- 1893年(明治26年) - 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字広袴となる。
- 1943年(昭和18年) - 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村大字広袴となる。
- 1958年(昭和33年) - 町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併し、町田市広袴町となる。
- 1968年(昭和43年)8月1日 - 真光寺町、大蔵町、能ヶ谷町、広袴町の一部より、鶴川一〜六丁目を新設。
- 1999年(平成11年)2月27日 - 真光寺町と広袴町の一部より、広袴一〜三丁目を新設。
- 2003年(平成15年)5月31日 - 真光寺町と広袴町の一部より、広袴四丁目を新設。
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 65~114番地 438~483番地 | 町田市立鶴川第二小学校 | 町田市立鶴川第二中学校 |
| 1~49番地 484~491番地 494番地 512~766番地 | 町田市立鶴川中央小学校 |