廣澤優
日本のプロ野球選手
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経歴
プロ入り前
日本大学第三高等学校では2年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会に控え投手として出場。龍谷大平安との3回戦で大会初登板初先発し、5回2失点の好投で勝利に貢献した[3]。また、この試合で当時の自己最速を更新する148km/hを計測している[3]。金足農業との準決勝でも先発して4回途中1失点だったが、試合は敗れた[4]。3年夏は西東京大会準々決勝で桜美林に敗れた[5]。同学年に井上広輝がいた[6]。
高校卒業後はJFE東日本へ入社。4年間在籍して最速を158 km/hまで伸ばしたものの、都市対抗野球大会、日本選手権大会では一度もベンチ入りすることができなかった[7]。4年目のシーズン半ばに監督の落合成紀から独立リーグ挑戦を提案され、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツへ入団した[7]。
四国IL・愛媛時代
2024年は27試合に登板して2勝2敗、防御率2.54、49奪三振を記録した[7]。10月24日に開催されたドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから育成2位指名を受け、11月20日に支度金320万円、年俸300万円で仮契約した[1][8]。背番号は012[8]。担当スカウトは押尾健一[8]。
ヤクルト時代
2025年は二軍で26試合に登板し、2勝2敗、1セーブ、防御率3.76の成績だった[9]。オフはアジアウインターリーグに参加し、チームの守護神を務めた[10]。
2026年は春季の一軍キャンプに抜擢される[11]。オープン戦5試合に登板し、防御率9.00の成績ながら最後までに一軍に帯同した[10]。3月24日、支配下契約が発表された。背番号は70[9][10][11][12]。