廻神就吉 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不詳死没 不詳別名 通称:藤右衛門尉 凡例廻神就吉時代 戦国時代生誕 不詳死没 不詳別名 通称:藤右衛門尉主君 毛利元就氏族 松田氏流廻神氏父母 父:松田氏行兄弟 氏吉、就吉妻 おせん子 元正テンプレートを表示 廻神 就吉(めぐりかみ なりよし)は、戦国時代の武将。毛利氏家臣。父は松田氏行。兄は廻神氏吉。 備後国の松田氏行の次男として生まれ、毛利元就に仕える。 兄・氏吉の代から備後国三谿郡廻神村[1]に住したことから、廻神氏と名乗るようになったが、父と兄が共に出雲国において戦死したため、就吉が後を継いだ。 永禄5年(1562年)2月5日、福屋隆兼の次男の福屋次郎や福屋氏家老の神村下野守らが守る石見松山城攻めにおいて、毛利隆元に仕える嫡男の元正が18歳で戦死した。隆元は元正の死を深く惜しみ、同年4月9日に河北俊興を使者として、就吉夫妻にそれぞれ書状を送り、弔料千疋を贈った。その書状において隆元は、元正は幼少の頃から油断なく奉公しており、元服したので特にその分別を加えようと考えていたところを戦死してしまい、誠に惜しいことであると述べている[2]。また、同年4月27日に国司就信を使者として就吉のもとへ派遣し、就吉の甥の万鶴丸(後の松田元行)に元正の後を継がせ、元正の給地であった6貫目の地と浮米15石を与えた。 就吉の没年は不明。 脚注 ↑ 現在の広島県三次市廻神町。弘治3年(1557年)頃の三吉致高の隠居分1700貫の内に廻神300貫も含まれている(『毛利家文書』第410号、毛利元就自筆書状)。 ↑ 『毛利元就卿伝』p.350-351。 参考文献 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修『毛利元就卿伝』(マツノ書店、1984年)p.348-351 田村哲夫校訂『新裁軍記』(マツノ書店、1993年)p.590-600 『萩藩閥閲録』巻94「松田治右衛門」 Related Articles