弘前電気鉄道

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本社所在地 日本の旗 日本
青森県弘前市大字中野1丁目13番地1号
設立 1949年(昭和24年)7月25日
弘前電気鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
青森県弘前市大字中野1丁目13番地1号
設立 1949年(昭和24年)7月25日
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業、砂利採取販売
代表者 専務 川岡清次郎
資本金 65,000,000円
発行済株式総数 1,300,000株
特記事項:1970年3月31日現在(『私鉄要覧 昭和45年度版』 18頁)
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弘前電気鉄道(ひろさきでんきてつどう)は、青森県大鰐駅から中央弘前駅を結ぶ鉄道路線を運営していた鉄道会社

経営難により、1970年10月1日をもって、弘南鉄道に経営権を譲渡して解散した。鉄道路線は、弘南鉄道大鰐線として存続している。

第二次世界大戦直後、弘前周辺の交通事情が非常に悪く、戦後復興のための輸送改善が求められたことから、弘前の有力者を中心に三菱電機資本参加を得て会社を設立した。この時三菱電機が出資したのは地方電気鉄道システムのデモンストレーションを狙っていたからであると言われている[誰によって?]1952年(昭和27年)に第1期線として大鰐 - 中央弘前間を開業した。

1940年代末から1950年代にかけ、日本各地では既存国鉄線に並行して都市間連絡する、新たな民営の高速電車路線建設計画が林立したが、そのほとんどが資金難によって計画停滞していた間に、周辺バス会社への大型ディーゼルバス普及による自動車輸送の改善で存在意義を喪失し、実現に至らなかった。その中で弘前電気鉄道がまれな開業実現事例となったのは、三菱電機の資金・資材面の助力によるところが大きい[1][2]

しかし、開業にこそこぎ着けたものの、並行して走る奥羽本線弘南バスに乗客をとられて経営不振から赤字を重ね、第1期線以外の路線建設も頓挫した。また集中豪雨台風の被害も加わって1960年代後半には経営難が深刻化したことにより、三菱電機は経営からの撤退を表明、弘前電鉄線は開業から20年足らずにして廃止の危機に直面した。

対策として弘前電気鉄道・弘南鉄道合併案も持ち上がったが、陸運局仲介による交渉の結果、弘南鉄道への経営権譲渡で決着となった。従業員は希望者すべてが弘南鉄道に再雇用されている。

歴史

  • 1948年(昭和23年)5月7日 地方鉄道敷設免許取得[3][2]
  • 1949年昭和24年)7月25日 弘前電気鉄道設立。
  • 1952年(昭和27年)1月26日 大鰐線・大鰐 - 中央弘前間開業。[2]
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月ごろから弘南鉄道との正式交渉開始(非公式折衝はこれ以前から)。
    • 8月21日 地方鉄道貨物(車扱・小口扱)運輸営業廃止許可[4]
    • 10月1日 弘南鉄道に経営権を譲渡して解散。路線は弘南鉄道大鰐線となる。[5]

なお、第2期線として板柳までの延長線[6]、さらには目屋線(西弘前-田代、改正鉄道敷設法別表3の路線とほぼ重複)の免許も得ていたが、返納・失効している。

輸送実績

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン)
19521,513,2694,164
19582,623千6,545
19633,227千16,052
19663,716千7,888
  • 地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版

車両

脚注

参考文献

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