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九条良経

日本の公卿・歌人 From Wikipedia, the free encyclopedia

九条 良経(くじょう よしつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿歌人。歌人としては藤原良経と呼ばれることが多い。関白九条兼実の次男。官位従一位摂政太政大臣九条家2代当主。後京極殿と号した。通称は後京極摂政(ごきょうごく せっしょう)、中御門摂政。

時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安4年(1169年)3月
別名 藤原良経、後京極摂政、後京極摂政前太政大臣、中御門摂政、一条殿、秋篠月清、南海漁夫、西洞隱士
概要 凡例九条 良経, 時代 ...
 
九条 良経
天子摂関御影、紙本着色』九条良経(後京極摂政)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安4年(1169年)3月
死没 元久3年3月7日1206年4月16日
別名 藤原良経、後京極摂政、後京極摂政前太政大臣、中御門摂政、一条殿、秋篠月清、南海漁夫、西洞隱士
官位 従一位摂政内覧太政大臣
主君 高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 九条家
父母 父:九条兼実、母:藤原兼子(藤原季行の娘)
兄弟 良通良経任子良円良平良快良輔、良尋、良海、良恵、玉日
一条能保の娘、藤原寿子(松殿基房の娘)
左馬助政綱の娘、大膳大夫信成の娘
立子慶政道家教家基家、良尊、道慶
養子:良平
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経歴

治承3年(1179年)元服し、従五位上に叙せられる。元暦2年(1185年)従三位[注釈 1]文治4年(1188年)、同母兄・良通が早世したため兼実の嫡男となった。その後も権中納言正二位権大納言と昇進し、建久6年(1195年)に内大臣となった。1191年には一条能保の娘(1167-1200)と結婚している。しかし翌年11月、反兼実派の丹後局源通親らの反撃を受けて父と共に朝廷から追放され、蟄居を余儀なくされた(建久七年の政変)。

正治元年(1199年)、左大臣として政界復帰を果たし、その後内覧となる。そして建仁2年(1202年)12月、土御門天皇の摂政となり、建仁4年(1204年)には従一位・太政大臣となった。しかし元久3年(1206年)3月7日深夜に頓死。享年38。

人物

九条良経歌碑、鴨川畔、京都市左京区下堤町

良経は和歌書道漢詩に優れた教養人だった。特に書道においては天才的で、その屈曲に激しく線に強みを加えた書風は、のちに「後京極流」と呼ばれた。また、叔父慈円を後援・協力者として建久初年頃から歌壇活動が顕著になり、同元年『花月百首』、同4年頃『六百番歌合』などを主催した。その活動は御子左家との強い結びつきのもとで行われたが、六条家歌人との交流もあった。この良経歌壇は、のちに『新古今和歌集』へと結実していく新風和歌を育成した土壌として大きな役割を果たす。その後後鳥羽院歌壇へ移行し、良経を含む御子左家一派は中核的な位置を占める。

建仁元年(1201年)、和歌所設置に際して寄人筆頭となり、『新古今和歌集』の撰修に関係してその仮名序を書いた。自撰の家集『秋篠月清集』(月清集)は六家集のひとつとなっている。『後京極殿御自歌合』も作風を知る上で好資料となる。日記に『殿記』、著作に『大間成文抄』がある。

小倉百人一首では「後京極摂政前太政大臣」として知られる。91番「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ」

官歴

さらに見る 和暦(西暦), 月日(旧暦) ...
九条良経の官歴表
和暦(西暦) 月日(旧暦) 年齢 [注釈 2] 事項
治承3年(1179年 4月17日 11歳 元服従五位上に叙す
8月26日 禁色および昇殿を聴される
10月9日 侍従に任ず
治承4年(1180年 4月21日 12歳 正五位下に昇叙、侍従如元
養和元年(1181年 12月4日 13歳 右近衛少将に転任
寿永元年(1182年 11月17日 14歳 左近衛中将に転任
寿永2年(1183年 1月7日 15歳 従四位下に昇叙、左近衛中将如元
元暦元年(1184年 12月20日 16歳 正四位下に昇叙、左近衛中将如元
元暦2年/文治元年(1185年 1月6日 17歳 従三位に昇叙、左近衛中将如元
1月20日 播磨権守
文治2年(1186年 12月15日 18歳 正三位に昇叙、左近衛中将・播磨権守如元
文治3年(1187年 1月23日 19歳 従二位に昇叙、左近衛中将・播磨権守如元
文治4年(1188年 1月6日 20歳 正二位に昇叙、左近衛中将如元
文治5年(1189年 閏4月8日 21歳 権中納言に転任、左近衛中将如元
7月10日 権大納言に転任
12月30日 左近衛大将
建久元年(1190年 7月18日 22歳 兼中宮大夫(中宮・九条任子
建久6年(1195年 11月4日 27歳 内大臣に転任
11月12日 左近衛大将如元
建久9年(1198年 1月19日 30歳 左近衛大将を辞す
正治元年(1199年 6月22日 31歳 左大臣に転任
建仁2年(1202年 11月27日 34歳 内覧宣下、左大臣如元
12月25日 摂政宣下、左大臣如元(列座は正二位太政大臣藤原頼実の次座、一座とはならず)
建仁4年/元久元年(1204年 1月5日 36歳 従一位に昇叙、摂政・左大臣如元
11月16日 左大臣を辞す
12月7日 太政大臣・藤原頼実の辞任により一座となる
12月14日 太政大臣宣下、摂政如元
元久2年(1205年 4月27日 37歳 太政大臣を辞す
元久3年/建永元年(1206年 3月7日 38歳 薨去(時に摂政従一位)
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系譜

また、慶政上人も良経の子とされる。

関連作品

テレビドラマ

脚注

参考文献

外部リンク

関連項目

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