徳丸哲史 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 大分県生年月日 (1973-08-09) 1973年8月9日(52歳)投球・打席 右投右打徳丸 哲史基本情報国籍 日本出身地 大分県生年月日 (1973-08-09) 1973年8月9日(52歳)選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 選手歴 大分県立臼杵高等学校 明治大学 三菱自動車川崎三菱ふそう川崎 コーチ歴・監督歴 熊本ゴールデンラークス この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 徳丸 哲史(とくまる さとし、1973年8月9日 - )は、大分県出身の元社会人野球選手(投手)。右投右打。 臼杵高では2年夏にエースとして県大会ベスト4、3年夏は県大会決勝へ進むが柳ヶ浦高の岡本克道と投げ合って敗れた。明治大学に進学、野球部でプレーした。3年次には春のリーグ戦で優勝に貢献する活躍を見せている。高校からの2学年先輩に鳥越裕介がおり、同期にはバッテリーを組んだ野村克則や中村豊が、1学年下に筒井壮、2学年下に川上憲伸らがいた。 大学卒業後の1996年に三菱自動車川崎に入社。チームのエースとして同僚の谷村逸郎らと投手陣の屋台骨を支え、第70回都市対抗野球では東芝の補強選手として、第71回・第74回・第76回は自チームで優勝に貢献した。 2006年限りで現役を引退。当初は三菱ふそうトラック・バスで社業に就く方針だったが、それを知った大学の先輩で熊本ゴールデンラークス監督の田中敏弘がコーチとしてのチーム加入を懇願。徳丸はこれを受け入れて翌2007年から投手コーチとして移籍、同年チームを第78回都市対抗野球での本大会初出場に導いた。 2010年からは田中の後を受けて熊本ゴールデンラークスの監督に就任。チーム指導のモットーは「野球人たる前に立派な社会人たれ」[1]。 2012年シーズンをもって退任した後は、マネージャーや部長を歴任した。 2021年より、田中が代表理事を務め九州アジアリーグを運営する「一般社団法人九州アジアプロ野球機構」のスタッフとなった[2]。その後専務理事を経て、2022年10月より田中の後任として代表理事に就任した[3]。九州アジアリーグの運営母体は2024年シーズンから、「九州アジアベースボールリーグ株式会社」に変更になったが[4]、徳丸は引き続き同社の代表取締役を務めている[5]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ スポニチ 広州アジア大会で活躍中 ヤクルト6位指名スーパーの野菜売り場担当 ↑ kyusyuasiaの2021年1月28日のツイート- X(旧Twitter) ↑ 田尻耕太郎 (2022年11月8日). “新球団・宮崎サンシャインズ参入の九州アジアリーグ、ソフトバンク戦が来季大幅増へ。開幕は「3・18」”. Yahoo!ニュース個人. 2023年2月5日閲覧。 ↑ 九州アジアリーグ [@kyushuasia] (26 January 2024). “〜メールアドレスおよびホームページ変更のお知らせ〜”. X(旧Twitter)より2024年3月19日閲覧. ↑ 九州アジアリーグ リョーユーパンチャリティーカップ開催 - 九州アジアリーグ(2024年1月24日)2024年4月30日閲覧。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。表示編集 Related Articles