徳大寺実孝
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新免氏との関係
永仁3年(1295年)叙爵。侍従・左近衛中将・中宮亮を経て、延慶2年(1309年)従三位となり、公卿に列する。
その後、応長元年(1311年)権中納言、正和元年(1312年)正三位、正和2年(1313年)従二位、文保元年(1317年)正二位と昇進を重ねる。
「新免家譜」によると、中世に美作国吉野郡で勢力を張った新免氏の祖が、実孝であるとされる[1]。
「東作誌」によると、実孝は建武2年(1335年)7月の中先代の乱の幇助により、後醍醐天皇の勘気を受けて、徳大寺家の荘園粟井荘に配流された。実孝は配流から11年後の貞和3年(1347年)3月8日に死去した。享年57(墓所は、粟井中にある)。
実孝は配流先で有元佐高の娘との間に一男則重(徳千代丸)をもうけた。則重の時に勅免を得て新免氏と名乗り、以降武家として存続する[1]。なお、江戸時代初期の剣術家・宮本武蔵の養子となった三木之助貞為は、則重のひ孫・宗貞の孫とされる[2]。
ただし、家譜に記されている実孝の没年や官位が『公卿補任』等の他史料とは大きく異なっており、新免氏の祖を実孝とするのは信憑性に乏しいと言わざるを得ない。
官歴
『公卿補任』による
- 永仁3年(1295年) 10月18日:叙爵(従五位下)
- 永仁4年(1296年) 3月13日:侍従(宣下)
- 正安2年(1300年) 3月6日:従五位上
- 正安4年(1302年) 正月5日:正五位下。9月25日:左近衛中将
- 嘉元元年(1303年) 9月24日:兼中宮亮(立后)。9月28日:従四位下(中宮御入内賞、中将権亮如元)
- 嘉元3年(1305年) 正月5日:従四位上(中宮御給)
- 徳治2年(1307年) 正月20日:近江権守。8月13日:正四位下。9月19日:春宮権亮(去中宮権亮)
- 延慶2年(1309年) 9月1日:従三位(左中将権亮如元)。10月24日:辞権亮
- 応長元年(1311年) 12月21日:権中納言(元左中将権亮)
- 正和元年(1312年) 8月10日:正三位
- 正和2年(1313年) 12月7日:従二位
- 文保元年(1317年) 3月27日:正二位
- 元亨2年(1322年) 正月17日:薨去(享年30)