徳大寺実孝

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時代 鎌倉時代後期
生誕 永仁元年(1293年
 
徳大寺 実孝
時代 鎌倉時代後期
生誕 永仁元年(1293年
死没 元亨2年1月17日1322年2月3日)/貞和3年3月9日1347年4月27日)?
官位 正二位権中納言
主君 後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 徳大寺家
父母 父:徳大寺公孝、母:三条公親の養女(二条良実の娘)
兄弟 実孝忻子
西園寺公相の娘
公清、性弘、洞院実世室、新免則重?
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徳大寺 実孝(とくだいじ さねたか、永仁元年〈1293年〉- 元亨2年〈1322年〉/貞和3年〈1347年〉?)は、鎌倉時代後期の公卿太政大臣徳大寺公孝の子。官位正二位権中納言徳大寺家7代。

新免氏との関係

永仁3年(1295年叙爵侍従左近衛中将中宮亮を経て、延慶2年(1309年従三位となり、公卿に列する。

その後、応長元年(1311年権中納言正和元年(1312年正三位、正和2年(1313年従二位文保元年(1317年正二位と昇進を重ねる。

元亨2年(1322年)薨去、享年30。

「新免家譜」によると、中世に美作国吉野郡で勢力を張った新免氏の祖が、実孝であるとされる[1]

東作誌」によると、実孝は建武2年(1335年)7月の中先代の乱の幇助により、後醍醐天皇の勘気を受けて、徳大寺家の荘園粟井荘に配流された。実孝は配流から11年後の貞和3年(1347年)3月8日に死去した。享年57(墓所は、粟井中にある)。

実孝は配流先で有元佐高の娘との間に一男則重(徳千代丸)をもうけた。則重の時に勅免を得て新免氏と名乗り、以降武家として存続する[1]。なお、江戸時代初期の剣術家宮本武蔵の養子となった三木之助貞為は、則重のひ孫・宗貞の孫とされる[2]

ただし、家譜に記されている実孝の没年や官位が『公卿補任』等の他史料とは大きく異なっており、新免氏の祖を実孝とするのは信憑性に乏しいと言わざるを得ない。

官歴

公卿補任』による

系譜

参考文献

脚注

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